山本七平著「日本人とユダヤ人」(角川oneテーマ21新書)。
その第一章は「安全と自由と水のコスト 隠れ切支丹と隠れユダヤ人」というのでした。
そこから、すこし引用します。
「『生命の安全が何よりも第一である』といえば、『あたりまえだ、そんなことはユダヤ人から聞かなくたって、よくわかっている』と日本人は言うであろう。だが、駐日イスラエル大使館がまだ公使館であったころ、日本人に親しまれたある書記官がつくづくと言った。『日本人は、安全と水は無料で手に入ると思いこんでいる』と。この言葉は面白い。」(p20)
「また戦後は、自衛隊は税金泥棒であり、『警察は敵』である。税金が防衛費に使われ、戦闘機が一機何億円とか新聞に出ると、まるで『おひや』一杯で一万円請求されたような非難が新聞の投書に出る。・・・」(p21)
「日本人にとって安全なのはあたりまえであった。もちろん、あらゆる人間には危険はある。次の瞬間、天から隕石がふって来てあの世に行くかも知れない。しかしこれを恐れて頑丈な構築物から出ない人があれば、それは確かに被害妄想狂であろう。長い間、日本人にとって、危険とはそういうものであった。『地震・雷・火事・おやじ』これは私たちユダヤ人にとって、実に興味深い言葉である。この中には、戦争も、伝染病も、ジェノサイドも、差別も、迫害もない。・・・・」(p22)
「自衛隊が災害救助に出動すると、急にその評価が高まり、新聞の扱い方まで暖かくなる。いわば、天災に対処するものなら意義はあるが、他の面では、全く無意義かつ有害とされるのである。ああ、日本人は何と幸福な民族であったことだろう。自己の安全に、収入の大部分をさかねばならなかた民と、安全と水は無料で手に入ると信じ切れる状態におかれた民と、・・・・だが、余りに恵まれるということは、日本人がよく言うように『過ぎたるは及ばざるが如し』で、時にはかえって不幸を招く。深窓に育った令嬢や、過保護の青少年は、何かちょっとしたことに出会うと、すぐに思いつめてしまう。・・・」(p32~33)
「安全と自由と水のコスト」と現在の状況と。
その第一章は「安全と自由と水のコスト 隠れ切支丹と隠れユダヤ人」というのでした。
そこから、すこし引用します。
「『生命の安全が何よりも第一である』といえば、『あたりまえだ、そんなことはユダヤ人から聞かなくたって、よくわかっている』と日本人は言うであろう。だが、駐日イスラエル大使館がまだ公使館であったころ、日本人に親しまれたある書記官がつくづくと言った。『日本人は、安全と水は無料で手に入ると思いこんでいる』と。この言葉は面白い。」(p20)
「また戦後は、自衛隊は税金泥棒であり、『警察は敵』である。税金が防衛費に使われ、戦闘機が一機何億円とか新聞に出ると、まるで『おひや』一杯で一万円請求されたような非難が新聞の投書に出る。・・・」(p21)
「日本人にとって安全なのはあたりまえであった。もちろん、あらゆる人間には危険はある。次の瞬間、天から隕石がふって来てあの世に行くかも知れない。しかしこれを恐れて頑丈な構築物から出ない人があれば、それは確かに被害妄想狂であろう。長い間、日本人にとって、危険とはそういうものであった。『地震・雷・火事・おやじ』これは私たちユダヤ人にとって、実に興味深い言葉である。この中には、戦争も、伝染病も、ジェノサイドも、差別も、迫害もない。・・・・」(p22)
「自衛隊が災害救助に出動すると、急にその評価が高まり、新聞の扱い方まで暖かくなる。いわば、天災に対処するものなら意義はあるが、他の面では、全く無意義かつ有害とされるのである。ああ、日本人は何と幸福な民族であったことだろう。自己の安全に、収入の大部分をさかねばならなかた民と、安全と水は無料で手に入ると信じ切れる状態におかれた民と、・・・・だが、余りに恵まれるということは、日本人がよく言うように『過ぎたるは及ばざるが如し』で、時にはかえって不幸を招く。深窓に育った令嬢や、過保護の青少年は、何かちょっとしたことに出会うと、すぐに思いつめてしまう。・・・」(p32~33)
「安全と自由と水のコスト」と現在の状況と。