和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

都心で震災直後。

2011-06-11 | 地域
「復興の精神」(新潮新書)と猪瀬直樹著「言葉の力」(中公新書)という新刊2冊を読みました。
猪瀬直樹氏の新書は前半p98ぐらいまで読めばそれでいいような気がします。
もう一冊は、9名の文。雑誌掲載のものと、書下ろしとあります。玉石混交。

猪瀬氏の新書にこうあります。
「・・・巷間流布されている速読術を僕は信用しない。速度とは文字を眼で追う速さでなく、読む価値があるかないかをつかむ速さである。この本は自分にとって読む価値があるかないか、参考になるかならないか、その識別が速いか遅いかであり、要らないなと思う本はページをぱらぱらとめくっていくうちに10分、20分で要らないと判断できる。必要だと思う本は速読の必要はない。じっくり読む。・・・」(p96)

2冊の新刊新書を読んでいたら、
そうだ、地震の時、私はどうしていたのだったっけ。と思ったりしました。
さてっと、その時。

養老孟司氏は
「東日本大震災が起こったときには、私は鎌倉の自宅に帰ってきたところで、まだ洋服も脱ぎきっていない状態でした。書斎に入ってすぐくらいに、ブログを更新していた秘書の山口さんが、『あ、停電』と言った。データが飛んでしまったので、『せっかくもう出来上がるのに』と文句を言っていました。揺れが来たのはその後です。」(p12・「復興の精神」)

茂木健一郎氏は
「2011年3月11日。私は、午後の空いた地下鉄の中で・・論文を読んでいた。・・・最後部車両の一番後ろで、手に持った論文に没入していた。電車が駅を出たらしい、ということはどこかで把握していた・・突然、加速していた電車がガクンと減速し始めた。何だろう?停止信号かな、と思った。やがて、電車が完全に止まる。後ろをふり返る。ホームの明かりが見える。まだ、ホームから出て間もなくのところで止まってしまったのである。・・訝しがっているうちに、車両が揺れていることに気付いた。ゆさゆさと、左右に、まるで巨人が揺さぶっているかのように振動している。ピー、ピー、ピーという警告音が、どこからか聞こえてくる。地震だ!それにしても長い。これはかなり大きな地震なのかな、と思っているうちに、今度はさらに一層激しく揺れ始めた。・・・それにしても、揺れが長すぎる。・・・やがて、運転手さんのアナウンスが入った。『ただ今強い揺れを観測しましたので、電車を緊急停止いたしました。これから、次の駅まで、時速15キロメートルで徐行運転いたします。』・・・『ただ今、地震による点検のため、全線で運転を見合わせております。この列車も、本駅でしばらく停車いたします。』・・・停車したのは、たまたまJR線との乗り換え駅だった。地上の鉄道も止まっていて、すでに多くの人が駅から出てきていた。その時、強い余震が襲った。みんな思わず地面の上にしゃがむ。電信柱が、まるでおもちゃのように揺れている。自動車も止まっている。周辺のビルの振動を、呆然と眺めているうちに、ようやく揺れは収まった。」(p40~41『復興・・』)
ちなみに、茂木氏のそのあとの本文は読む価値なし。

橋本治氏は
「なんの因果か、3月11日の大地震が発生する五カ月ほど前から、私は病人になっていた。四カ月近く入院して、大地震の一月前に退院したが、大地震の五日後にはまた短期で入院する手筈になっていた。私の病気は、毛細血管が炎症を起こしてただれるという面倒なもの・・・手足のしびれが抜けず、足の先なんかは、しびれの靴かブーツを履いているような状態になっている。・・・自分の体力が低下していることの方が、ずっとよく分かる。集中力が持続せずに、すぐに眠くなってしまう。・・・
その日の夕方、私は外で人と会う予定があったので、外出の仕度をしていた。そこに突然、激しい揺れがやって来た。・・ベッドに腰を下ろし、ガスの火が止めてあることや、電化製品のスイッチが切ってあることを確認した。揺れは長い。・・・目の前にある本棚が揺れている。立って、これを押さえにかかったが、無駄だと思ってすぐにやめた。立って、本やらなにやらで満載の棚を押さえ続けている自信がなかったのだ。ベッドに座って見ていると、棚からいろんな物が落ちはするが、棚自体は倒れない。別の棚からなにかが落ちて、ガチャンガチャンと割れている音もする。『こわい』というような気にはならず、『ああ、面倒臭い』と思いながらテレビを点けた。・・・」(p149~150)


猪瀬直樹氏は
「東日本大震災が起きた3月11日は一晩中、僕は帰宅困難者を東京都の施設にいかに収容するか、奔走していた。携帯電話は通じなかった。固定電話がときどきかかるぐらいである。都庁のエレベーターも停まっている。あらゆるインフラが一瞬にして機能停止状態に陥った。しかし、文章による通信は生きていた。ツイッターやフェイスブックなどソーシャル・ネットワークはさまざまなかたちで機能した。・・・・
大震災は、好むと好まざるとにかかわらずソーシャル・メディアの時代の到来を告げた。」(p7~8)
コメント
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