和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

このパターン。

2011-06-15 | 短文紹介
5月22日朝刊の一面写真。
中国の温家宝首相、韓国の李明博大統領と菅首相が並んでミニトマトを食べているショット。菅首相が笑っているのですが、どうしても、その笑いに、私は違和感がぬぐえないのでした。

まあ、そんなことが気になっておりました。
そんななか加藤恭子著「言葉でたたかう技術」(文芸春秋)をパラパラとめくっていたのです。するとこんな箇所。

加藤】 いろいろと話し合ってまいりましたが、バーガーさんの貴重な御指摘の一つは、真珠湾に対して燃え上がったアメリカ人の怒りについて、あれが不意討だったからでは必ずしもなくて、日本が野村大使などを送って表面的にはにこやかに交渉していたからだと分析なさったことです。これは、日米関係の大切な点をついています。今でもこのパターンは基本的には続いており、そこからもパーセプション・ギャップが生まれてくるのではありませんか?日本人は心の中で絶望したり、『けしからん』と腹を立てれば立てるほど、その怒りを表現することを恥じて、にこやかになってしまう。(笑)
アメリカ人から見れば、これは重大なルール違反かもしれないけれど、日本人の多くはこう行動します。・・・・(p211)


この交渉スタイル。
たとえば、国民が津波の被害にいるのに、放射能の被害が続いているのに、首相が笑っている。という基本的パターン。


夫婦の会話もでてきます。

「日本人はすぐに譲る。そしてお金を出す。だから、何度でも繰返される。それが嫌なのだ。『お前は日本人には丁寧なのに、アメリカ人にはすぐけんか腰になるぞ。気をつけたほうがいい』などと、主人はあくまでも日本人なのだが、この【使い分け】は、私がわざとしているわけではなく、それぞれの【文化】が要求し、私はその要求に応えているだけなのだ。生粋(きっすい)日本人の主人のほうは、トラブルが起きると、『ちょっと、お前が行ってこい。お前のほうが適任だから』とすぐに逃げてしまう。」(p142)

これなど、私は【逃げ菅】という言葉が思い浮かんだりします。
首相というのは、日本人の主人と同義語かもしれないなあ。
コメント
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