昨日は、山下文男著「津波てんでんこ」(新日本出版社)をめくっていました。まだ後半を読んだだけなんですけれど。たとえば、1964年の新潟地震について書かれた箇所など、こんな普通の箇所が、今読むとわたしには興味深いのでした。
「・・この津波の後、・・・実施した被災地での世論調査によると、例えば、津波警報を聞いて、大きな津波が来ると思ったと答えた人は9.9%、津波が来るとは思ったが、それほど大きな被害をもたらすとは思わなかったが50%、津波が来るとは思わなかったが39.5%も占めていたという。要するに90%近くの人々が、たいした被害にはならないとか、実際には津波は来ないだろうと考えていたのであった。・・」(p184)
ところで、
注文してあった古本がとどく。
文芸春秋の「人と思想」シリーズの一冊。
清水幾太郎著「人間を考える」。
そこに、「見落された変数」が掲載されておりました。
あと、清水幾太郎著「日本の運命とともに」(河出書房)。
ここには、昭和26年3月立教女学院生徒会に掲載された「巣立ち」が載っておりました。2ページほどの文なのですが、清水幾太郎の文では、私は短い文が好きなんだよなあ。ただし短い文しか読んでいないのでした(笑)。すこし「巣立ち」から引用しておきます。
「・・・私はみなさんと同じ年頃に、あの関東大震災に遭いました。私の家は潰れ、そして焼け、私達は、文字通り、無一物になってしまいました。当然のこと、私の父や母は非常に力を落しましたが、私は、私だけは、奇妙な元気を自分の身体の中に感じていました。どうして私はあんなに元気であったのか、これは今でも納得できません。しかし、それは恐らく私が若かったためでしょう。・・・あれから二十何年、私は私なりに、一筋の道を歩いて来ました。みなさんと同じ年頃の日に抱いた夢を追って歩き続けて来ました。東京の焼跡に立って感じた新しい力に押されるままに、私は今日まで生きてきたといえるようです。青春を失うものは一生を失う、と申しますが、私は必ずしも青春を失わなかったのだと考えています。二十何年後の後、再びみなさんは東京の焼跡に立っています。・・・・」
「・・この津波の後、・・・実施した被災地での世論調査によると、例えば、津波警報を聞いて、大きな津波が来ると思ったと答えた人は9.9%、津波が来るとは思ったが、それほど大きな被害をもたらすとは思わなかったが50%、津波が来るとは思わなかったが39.5%も占めていたという。要するに90%近くの人々が、たいした被害にはならないとか、実際には津波は来ないだろうと考えていたのであった。・・」(p184)
ところで、
注文してあった古本がとどく。
文芸春秋の「人と思想」シリーズの一冊。
清水幾太郎著「人間を考える」。
そこに、「見落された変数」が掲載されておりました。
あと、清水幾太郎著「日本の運命とともに」(河出書房)。
ここには、昭和26年3月立教女学院生徒会に掲載された「巣立ち」が載っておりました。2ページほどの文なのですが、清水幾太郎の文では、私は短い文が好きなんだよなあ。ただし短い文しか読んでいないのでした(笑)。すこし「巣立ち」から引用しておきます。
「・・・私はみなさんと同じ年頃に、あの関東大震災に遭いました。私の家は潰れ、そして焼け、私達は、文字通り、無一物になってしまいました。当然のこと、私の父や母は非常に力を落しましたが、私は、私だけは、奇妙な元気を自分の身体の中に感じていました。どうして私はあんなに元気であったのか、これは今でも納得できません。しかし、それは恐らく私が若かったためでしょう。・・・あれから二十何年、私は私なりに、一筋の道を歩いて来ました。みなさんと同じ年頃の日に抱いた夢を追って歩き続けて来ました。東京の焼跡に立って感じた新しい力に押されるままに、私は今日まで生きてきたといえるようです。青春を失うものは一生を失う、と申しますが、私は必ずしも青春を失わなかったのだと考えています。二十何年後の後、再びみなさんは東京の焼跡に立っています。・・・・」