和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

風化し易い災害。

2011-06-04 | 短文紹介
山下文男著「津波てんでんこ」(新日本出版社)を読み終えました。
後半から読み始め、残りの前半へとランダムに読みすすめておりました。
この頃、最初から読めなくなっているなあ。
さてっと、
「津波は災害間隔が比較的長く、そうたびたびは襲来しない代わりに風化し易い災害でもある。」(p77)という言葉がありました。
筆者ご自身はというと、
「昭和三陸津波(1933)を体験したのは小学校三年生のときだが、同様、家族ばらばらで、七人兄弟の末っ子だったが、両親も兄たちも、誰も手を引いてはくれなかった。そのため否応なしで一人で逃げ、雪道を裸足で山まで駆け上がっている。後で聞くと、友だちの多くもみんな同じことだったらしい。助かろうと思ったら子どもでもそうせざるを得ないのである。・・・」(p223)

この「津波てんでんこ」には、
「1983(昭和58)年の日本海中部地震津波のとき、秋田男鹿半島の加茂青砂海岸では、いきなり津波が押し寄せて来たために逃げる余裕がなく、痛ましくも遠足中の小学生13人が死亡している」(p18)
という事件のことが、丁寧に数箇所繰り返されておりました。
そこが気になります。ほかにはp126・p147と、まだ他の箇所にも登場したような気がします。この本の重要なリフレインとなっておりました。

あとp138~140にある1990年11月8日「全国沿岸市町村津波サミット」講演録の引用が印象に残ります。津村建四朗氏の講演の引用でした。氏は「大津波を体験した一人・・広村(現広川町)出身で、後に東京大学地震研究所を経て気象台長などを歴任した・・地震学者」。
では以下その引用。

「気象庁在職中のこと・・・住民を前にして行った、職業柄、教訓を織りまぜての貴重な体験談を聞いたことがあるのでつぎに紹介する。
『みなさん、津波を発生させる恐ろしい地震と、そんなには恐ろしくない地震の見分け方をお教えしましょう。ぐらぐらといつまでも揺れつづけている地震が海底で起こった場合は津波が発生する恐れがあると考えて下さい。私が子どもの時分に体験した昭和の南海地震は物凄い地震で、しかもかなりの時間、揺れつづけていました。揺れ自体は、五分後くらいにはおさまり、その後、非常に静穏な時間がありました。『大地震があたら逃げろ』と教えられてはいましたが、やはりその時点では逃げなかったのです。その後、深閑とした時間が十五分くらいあり、余震もあまり感じられませんでした。そのうち沖からゴーッと凄い音がしてきました。近所の人が「津波だ!」という叫び声をあげました。その途端「逃げろ!」という感覚がよみがえってきました。冬の午前四時二十分ですから、真っ暗です。しかし地元ですから、どの道をどう行けば八幡さま(避難場所)への最短コースかは分かっていました。みなさん、家族そろって避難するという訓練をやっておられるかも知れませんが、実際に暗闇の中で津波が押し寄せて来るという状態の中では、家族そろって避難するなどということはまず出来ません。ですから、今、考えると、一人ひとり、子どもに至るまで、一人で逃げのびる方法を教えておくべきだったと思っています。私も路地を必死になって逃げました。家族ばらばらになり、早い者勝ちで逃げました。・・・・」

まだつづくのですが、まだ肝心な箇所があるのですが、このくらいにしておきます。
コメント
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