和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

黒田三郎「死後の世界」。

2014-06-15 | 詩歌
黒田三郎の詩集「死後の世界」は
1979年2月に昭森社より刊行。
1980年1月8日に詩人は亡くなります。

さてっと、詩「死後の世界」のはじまりは

  退院して家に帰って来たら
  ふすまも障子も真新しく
  張りかえられていた
  寝具も新しい
  心身共に衰弱していて
  しかし全く無頓着だった

  ひと月もたってからだろうか
  三好豊一郎がやって来て
  妻と話すのをきいていたら
  それがお通夜のための用意だとわかった
  僕が死んだときの
  通夜の心配までしたというわけだ

  酔っぱらいが主人なので
  あんまりボロボロで
  かっこうがつかないので
  通夜のために真新しくしたのだという
  ・・・・・


この詩に三好豊一郎という名が登場します。
そういえば、この詩集には、あちこち
詩人の名前が登場しておりました。
たとえば、詩「夜半の雪」の
はじまりの二行に、


   田村隆一より僕はたった四歳しか
   年長じゃあないのに


さてっと、本題(笑)。
二つの詩を引用してみたかった。
まずは、この詩集にある詩から



   戦後三十年


 熱い熱帯の島で
 ふるさとのことを思ったことがある
 三十年以上も昔
 ふるさとを思ってみてもどうしようもない
 戦争中のことであった
 ふるさとの家には
 とっくに死んだ筈の父や兄も
 健在で
 桜島蜜柑の老木にたわわに実る
 平和な家であった
 あたたかい冬の日ざし
 それは
 二度と生きては帰れないと思ったからの
 夢だったのか
 戦後三十年東京に住んで
 そんなふるさとを思ったことはない



う~ん。黒田三郎の「死後の世界」は
「ふすまも障子も真新しく」
「桜島蜜柑の老木」もあったりして
味があって、匂いもするようです。

そして、詩人が亡くなると、
詩人が詩を書きました。


    桜島   田村隆一

  
        黒田三郎の霊に

  きみは
  たしか鹿児島の造士館の出身で
  城山にすまいがあった
  ぼくが
  山を見ればその山は桜島であって
  はじめてみた桜島は雪がつもっていた

  おまえさん
  おまえさん また逢おう



こうして
二つの詩を並べると
「死後の世界」への、
詩人独特の切り口に、
触れたような、気がしてきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どこにあるかい。

2014-06-14 | 詩歌
平川祐弘の新潮新書の新刊、
「日本人に生まれて、まあよかった」。
の「まえがき」と「あとがき」とから引用。

「まえがき」では2013年4月3日に
掲載された平川祐弘氏の文が再録されておりました。
そこから端折って引用。

「・・漱石はその先、長春、ハルビンまで北上し、
次いで韓国に南下してなお見物したのだが、
続きは書かずに終わった。そこが物足りない。
というのは、五十日間の大名旅行から帰国直後、
伊藤博文がハルビン駅頭で暗殺されたからだ。」

「漱石は、伊藤公狙撃の凶報に触発されてやはり
書いていた。記事は11月5、6日付のトップに
掲載されたが、『満洲日日新聞』は発行が大連なものだから、
『漱石全集』にも洩れたのである。黒川創が見つけて、
『新潮』2月号に出た・・・・
日韓併合に疑義を呈した石黒忠悳(ただのり)や上田敏の
ような政治的叡智は示していない。正直に
『余は幸にして日本人に生れたと云ふ自覚を得た』
『余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた』と書いている。」(p5)

そして、「あとがき」の最後は
こうなっておりました。

「・・・・しかしさはいいながら、
薄煕来(はくきらい)や張成沢(ちょうせいたく)が
あるいは逮捕され、あるいは処刑される隣国を見て
『余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、
まあ善かつたと思つた』という漱石の発言に、
内心で共感している自分を感じます。
そのような正直な感情を率直に言えることこそが
真実の言論の自由であると私は信じます。」(p264~265)


あらためて、この新書の第二章
「本当の『自由』と『民主主義』」の
p115~119あたりを読み直したりします。

さてっと、それはそれとして、
この詩を引用したかったのでした(笑)。


   自由    黒田三郎

 夕飯の食卓で
 僕は小学校三年生の息子と向き合い
 妻は大学生の娘と向き合って坐る
「早く死んでくれないかなぁ よっぱらいお父様」
 そう言って息子はじろりと僕の顔を見る
 さすが一瞬妻も娘も鼻白む
 だから僕は笑って言ってやるのだ
「こんな言論の自由なところって どこにあるかい」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

義歯の二本の針金の腕。

2014-06-14 | 詩歌
また、黒田三郎の詩をひらく。
黒田三郎著作集1(思潮社)は詩集の巻。

詩集「ひとりの女に」
詩集「小さなユリと」
詩集「もっと高く」
などを出した詩人は
1919(大正8)年生まれ
1980(昭和55)年1月8日に亡くなります。

亡くなった年の5月に
詩集「流血」が出ておりました。
で、「流血」から一篇の詩を引用。

恋の歌、子との歌の詩人に
義歯の歌が、ありました(笑)。


   老いて

 使いものにならなくなった歯が
 義歯に支えられて
 やっとのことで
 口中に残っている

 自分が自分の邪魔になる
 なんて
 そんな馬鹿なことが
 あるものだろうか

 それは自分の歯なのに
 義歯を噛み合わすたびに
 痛んで
 そしゃくの邪魔をするだけなのだ

 もともと義歯を支えるための
 大事な軸歯だったのに
 その歯もやっと抜け落ちて
 義歯の二本の針金の腕だけが残った

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これとこれとこれって。

2014-06-13 | 短文紹介
曽野綾子・近藤誠「野垂れ死にの覚悟」(KKベストセラーズ)をあっちこっちと、開いたとこを読む。

近藤】 ついに昨年、
65歳以上の日本人が3000万人を超えて、
これからが大変です。(p25)

近藤】 すでに独居老人が全国に500万人もいて、
『団地孤立死』なんかしょっちゅう起きてますよね。
(p44)

近藤】 ・・僕が属してる団塊の世代以降、がくんと
人口が減っていく。老人の数も減っていきます。
それで政府や関係者が何を考えているかっていうと、
いま介護事業にお金を費やして箱モノを作って
人を雇っちゃうと、団塊の老人がいなくなったあと、
入る人がいなくなる(笑)。
曽野】 だから自宅でなんとかしろ、ですか?(p46)


違う切り口のほうが、この対談では多いので
そちらも引用しないと、印象が違ってくる(笑)。

近藤】 年をとるほど『きょうよう、きょういく』が
大事だって、誰かが言ってました。
教養と教育じゃなくて
『きょう用がある。きょう行くところがある』ことが。

曽野】 それも、実にくだらないことでいいんですから。
きょうはこの本の山だけ片づけよう。庭で採れたこの
きゅうりで、なにか作ろうとか。本当につまんないこと
でよろしいんですから。
近藤】 それは義務とは別の言葉が合いそうですね。
毎日、工夫して生きるとか、あるいは好奇心とか。
・ ・・・・・・・・
曽野】 ・・・『出来ないでしょうね』って。
それで『どうなさるんですか?』って言ったら
『順位を決めておいて、出来るのだけやって
後は考えないんです』。
それからずーっと、その方のことを覚えてます。
だから、午前中なら午前中単位で必ず順位を作っています。
朝起きて一番最初にこれとこれをやって、その次に
これとこれとこれって。『途中でやめていい』っていう
非常に幸福な自由を私は持ちながら、
一応の目的を作る。・・・とにかく優先順位、
priority order に従って、できるほうからやっていく。
そのことを覚えてから、本当に気楽になりました。
無責任ですけど。(p68~70)


うん。対談本は、お気楽に読めて、
話題が多方面なのが、あっちこっちと
拾い読みしていたのですが、
読み終わっちゃった(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ささやく本たち。

2014-06-12 | 本棚並べ
雑誌「WILL」の今年新年号から
坂崎重盛氏の新連載がはじまっておりました。
この7月号になって、ようやくチラリと読む。
そういえば、
坂崎重盛著「粋人粋筆探訪」(芸術新聞社)を
買ってあったんだ。この人と、雑誌連載の人が
同一の人だと、結びつかずにおりました(笑)。

ということで、
あらためて「粋人粋筆探訪」をひらく。
その「まえがき」を引用したくなります。

「・・・・
ことのすべては古本屋さん巡りから始まった。
これまでの、ぼくの著作のほとんどは、
東京・下町、家の近くの小さな古本屋さんや、
神田・神保町、あるいは中央線沿線の古書店、
また古書会館やデパートで催される古書展、
古本市で、好奇心のおもむくままに入手してきた
雑本(もちろんホメ言葉です)類の
力を借りてのことです。
散歩がてらの古本屋さん覗きや、退屈しのぎの
古書市巡りで、さしたる目的もなく気ままに入手して
きたこれらの本が、あるときぼくに
一つのテーマを囁きかけたりする。
万年床をぐるっと囲むように立つ本棚を見やると、
高校生のころに手に入れた本や、オトナになって
から少々懐に痛い思いをさせて獲得した本の
背文字を認めることができる。
それらをボーッと眺めていると、本そのものは
昔の姿のままに本棚に納まっているのに、
それを買い求めたその店は、
とっくになくなってしまっている
ということも珍しくない、ということに気づく。
思えば、本は火にも水にも弱い、
紙でできているのに意外と長寿で、それを
所有する本人よりも何倍も長生きしたりする。
ぼくも、地を這う蟻のように、せっせと自分の
部屋に運び込んだ愛しの雑本類を残したまま、
早晩、この世を去るだろう。しかもご多聞にもれず(?)
集まってしまった本のほとんどは、
きちんと読んでないし、ザッと目をとおしたとしても、
その内容は、われながら面白いくらいに忘れている。
そんな古本買いや雑本遊びをしていると、
いつともなく本の群れが生じ、やがて、
あるテーマが浮かび上がってくる。
本たちが示し合わせて、ぼくに囁きかけるのだ。」
(p4~5)


ちなみに、
坂崎重盛氏は1942年東京生まれ。

坂崎さんの聴いた本たちのささやき。
それを聴きたくて、さっそく、
ネット古書店で、坂崎さんの
安い新書と文庫、計3冊注文(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それは任務なんですね。

2014-06-11 | 地震
今日は高速バスに乗っていたので、
買ってあった対談をもってゆく。
そういっても読まないのですけれどね。

そういえば
読売新聞「編集手帳」(2014.6.10)
のコラムのはじまりはこうでした。

「列車で旅をすると、幼児のように
景色ばかり眺めている。
読む本は携えているが、
あまりはかどらない。
『本の栞少し動かし旅終る』(近江砂人)
という句がある。」

旅行じゃないのですが、
はなから、読まないと分かっているので、
この頃は、移動に対談をもっていきます。
対談本なら、どこをひらいて読んでも、
けっこう、楽しめる。

今回手にしたのは、
曽野綾子・近藤誠「野垂れ死にの覚悟」
(KKベストセラーズ)でした。
表紙カバーは紫一色に、
題名が金色。対談者名は白色。

パラリとひらくと、
こんな箇所。

近藤】 そうだ、
これをうかがおうと思ってました。
曽野さんが菊池寛賞受賞のスピーチをされた時
(2012年12月7日)、始まってすぐに、
震度四ぐらいの地震がきましたよね。
シャンデリアもかなり揺れて、ホテルの
スタッフはあわてて走りまわっていました。
しかし、曽野さんは微動だにせず、
立ったままスピーチを終えられて、
『さすが』という声が上がっていました。

曽野】 指揮官、ないしは
目立つところにいる人間は、
異常事態であわててはいけない、
ということを、習ったことがあるんです。
それは任務なんですね。
目立つところにいる人の。
だから、絶対にあわてないで普通に
しなければならないんです。

近藤】 いや、お見事でした。

曽野】 それとね、私は計算高いんです。
あの瞬間、築五十年のわが家よりは、
このホテルの建物のほうが安全だ。
よかった、ここで地震にあって、
と思いました。
この授賞式に出ているたいていの人が、
そう思ってるだろうって(笑)。

近藤】 勉強になります。(p34~35)




う~ん。
地震が起きなくても、
手が震えだす私にとっても、
たいへん勉強になります(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大坂の図書館。

2014-06-10 | 本棚並べ
本棚に
田辺聖子著「大阪弁ちゃらんぽらん」(中公文庫)
があった。この文庫解説は織田正吉氏。
その解説からすこし引用。

「大阪に生まれ、大阪に育ち、大阪に住み、
現在も大阪近郊の伊丹市にあって旺盛な
執筆活動をつづけておられる田辺聖子氏の文体は、
骨格からディテールに至るまで、まちがいなく
大阪弁という基本語によって支えられている。
間口、奥行ともにひろびろとした
田辺文学という建築群の、これはその部品について
手練の施工者自身が吟味し、読者の前で一つ一つ
手に取って説明するカタログでもある。」(p209~210)

うん。買ってあっても読まずじまいだった、
この文庫(昭和56年発行)をパラリとひらくと、
おもしろい一覧表がありました。
そこも引用。

「大阪人とあらば、誰でも彼でも、もうかりまッか
と言い交わすわけではない。大阪人にもとんと
金儲けにうとい奴、金に縁のないのが多く、むしろ、
金儲けに関心ない、といってもいい、そういうのが多い。
『大阪春秋』という雑誌の三号に、鷲谷樗風(ちょふう)
さんが書いていられるが、明治28年頃のことで
『大阪にないもの一覧表』というのがあるそうである。」

ということで、一覧の18の全部を引用したいけれど
そこから、4つ引用。

1、華族。
(これは当然であろう。大阪は商人町人の町である)

4、図書館。(作っても行く人がおらぬ)

13、馬上読書。(机の前でも本などよまぬのが、
     何として人力車の上でまで読むものか)

18、東照権現。(当然コケンにかかわる、
       ここは豊太閤のご城下である)


以上はp154~155。

う~ん、戦時中の学生・司馬遼太郎が、
大阪の図書館で、気ままに本を出し入れしてる。
そんな姿が思い浮かんでくるような(笑)。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の夏ごろではないかと睨んでいます。

2014-06-09 | 地域
長谷川慶太郎著「朝鮮崩壊」(実業之日本社)
が届いたので読む。

まずは、この箇所

「今年(2014年)中にも
中国で大混乱があると思います。
今年の夏ごろではないかと睨んでいます。
この時点で、中国の北朝鮮への支援も
打ち切られます。」(p66)


さて、いそいで付け加えなければいけないのは、
この箇所かもしれません。

「1991年12月、ソ連邦が崩壊、
共産党の一党独裁体制が消滅した。・・・
私はソ連邦が崩壊する6年前・・
著書の最後のページにこう書いた。
『現在世界を東西両陣営に分断し、その間で
戦われている「冷戦」は間もなく終わる。
それも東側陣営の完敗で終わる。と同時に
共産党の一党独裁体制も崩壊する』と。
この予測がソ連邦の崩壊に先立つ、6年前のもの
という点にご注目いただきたい。・・・・
今回も予測が中国崩壊に関連するのも、
この経歴から見て不思議はない。
しかも今回の大事件は日本の隣国で発生する。」(p221)

では、この本のはじめの方を引用していきます。

「これはとても大事なことですが、
これまで中国は北朝鮮に対して金日成の時代から、
正確にいえば朝鮮戦争(1950~1953年7月休戦)が
終了した年から、無償援助を続けてきました。
何を援助してきたのか。年間、原油50万トン、
無煙炭50万トン、トウモロコシを中心にした
穀物50万トンを中国は北朝鮮に提供してきたのです。
それが、今年に入って途切れる可能性が
非常に高くなってきました。この無償援助は
北朝鮮にとって『生命線』のようなものです。
それが、途切れるということは北朝鮮にとって
『死』を意味します。だから、北朝鮮は今、
崖っぷちに立たされているようなものです。・・
なぜ、中国からの無償援助が途切れてしまうのか。
それは・・・中国ではシャドーバンキング(影の銀行)
の倒産などで経済が破綻に向かっているからです。
簡単にいえば、中国は北朝鮮の面倒を見る
ゆとりがまったく、なくなったのです。」(p24)

あと、一箇所引用。

「北朝鮮を見捨てた習近平政権は、
『中国の危機』を乗り越えられますか。
不可能です。
東ドイツをソ連が捨てて、
ソ連が崩壊するのに何年かかったか。
1991年12月にソ連は崩壊しました。
たった2年後でした。
中国は北朝鮮を見捨てて何年持つか。
2年も持つわけがないと断言しておきます。
1年以内でしょう。」(p144)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

産経書房。

2014-06-08 | 前書・後書。
産経新聞(土曜日)の読書欄に
「産経書房」というのがあります。
そこでとりあげられた本(6月7日)に
長谷川慶太郎著「朝鮮崩壊」。

そこからの引用。

「・・中国から無償支援されていた
穀物、原油、無煙炭が打ち切られ、
困窮した北朝鮮国民は『生きる』ために
韓国に一気に流込むことになると。
ではなぜ、
中国が北朝鮮への支援を中止するのか。
中国は経済破綻し、北朝鮮の面倒を
見るゆとりが全くなくなったからだ
と説いています。そして
深刻な問題として浮上するのが
食料の確保です。北朝鮮と韓国の
国民は合計約7千万人。その国民を
どうやって食べさせるのか。
それを救う手立ては日本からの
コメ支援しかありません。
だから、朴大統領は近く来日して
安倍首相に『頭を下げる』ことに
なると著者の長谷川慶太郎先生は
予測しました。そして北朝鮮に
拉致された日本人被害者は、
安倍首相が近く平壌に出向き全員、
帰国させることになるという。
それほど北朝鮮情勢は切迫して
いると説いています。」


うん。もう少し読みたくなり、
「朝鮮崩壊」(実業之日本社)を
注文することに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「朝日新聞」の社説のような意見を堂々と。

2014-06-07 | 朝日新聞

各章ごとに、読ませる新潮新書の新刊
平川祐弘著「日本人に生まれて、まあよかった」。
各章ごとに、ていねいに読みたい方むけです(笑)。
いうなれば、
胸襟を開いて、私語をまじえながら語られた
名講義を聴ける楽しみ。
個人名をまじえながら語られるのに、
違和感があるかもしれませんが、
まあ、最後まで読んでみて下さいと、
私は、お薦めするのです。

ということで、今回は第一章を引用。
この箇所が、おもわず引用したくなりました。

「どういう新聞を読むかによって人間は
出世もするし、失敗もします。
私は東京大学でまだ一年生だった岡田克也を
教えたことがありましたが。顔は大きいし
目立つ学生だったから民主党の最高幹部として
登場した時、写真を見てすぐそれとわかった。
家永三郎教授執筆の高校の日本史教科書が
文部省の検定で修正を求められた際、
家永教授が、その措置を違憲違法として
国家賠償請求を起こすという、いわゆる
家永裁判がありました。その訴訟のことが
クラスで話題となると、学生の岡田は
『朝日新聞』の社説のような意見を堂々と
述べました。そのように模範解答をすなおに
言い続けていれば、世論にも支持されて、
ある程度までは必ず出世できるのが
今の日本の仕組みなのですが、
実はそれが落し穴なのです。
民主党政権を担う左翼秀才の面々は、
日本国内ではかつてはもてた人であった。
それだからかつては選挙に勝てたのでしょう。
だがいまやもてなくなった。日本でも通用しない、
ましてや世界で通用するわけがない。
これは大変なことです。問題が深刻なのは
これが特定個人の資質の欠陥であるというより、
戦後民主主義における教育情報環境の
構造的欠陥のせいだからです。
菅直人という人も仙谷由人という人も
鈍才だから妙な政治的判断を下したのかというと、
そうではない。彼らは戦後日本の
教育情報空間の中で育った優等生で、
いってみれば大新聞の論説通りに行動した。
彼らは左翼系大新聞の模範解答通りの答えを述べた。
・・だからこそ失政が続いたというのが私の見立てです。」(p86~87)

え~と、
岡田克也氏が、『朝日新聞』の
社説のような意見を堂々と述べたように、
私はというと、
平川祐弘氏の『私の見立て』をここに堂々と
引用しているのに相違ありません(笑)。

さて、引用した箇所の後には、
その家永三郎氏への言及が続きます。
この、引用した箇所の前には、
土井たか子氏・福島瑞穂氏のお二人が登場。
ここでは、前の箇所からすこし引用。

「彼女らは日本の名門大学の出身で
理解力も優秀でした。
彼女らは日本の大新聞の
社説通りの政見を述べたから、
日本の政界でもある程度出世できたのです。
しかし自分を取り巻いている
国内のマスコミの情報環境と
その価値観から脱却できなかったからこそ、
戦後民主主義の優等生たちは
国際社会の現実がつかめず、
みじめな最後を迎えつつあるのだ
ということを忘れてはなりません。」(p84)

このすぐあとに、どういうわけか、
東條英機氏が登場します。
その流れは、読んでのお楽しみとなります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦後の日中友好運動。

2014-06-06 | 短文紹介
以前、渡部昇一氏の本を読んでいる時に、
繰り返して語ることの大切さを指摘されていたことがあったなあ。
基本的なことを、繰り返すことの大切さ。
さてっと、
平川祐弘著「日本人に生まれて、まあよかった」(新潮新書)の
第二章で語られているのを、私は繰り返したくなりました。

ということで、引用。

「・・このようなタブーのある
不自由な言論空間こそが
日本非難を生みやすい土壌になっているのです。
戦後の日中友好運動は
日本側に中国批判は言わせないが、
中国側に日本を不当に非難する者がいても
それを咎(とが)めることはしないような運動でした。
言論の不自由な中国ですが、日本の悪口はいえる。
その自由だけはいくらでもあります。
日中関係が悪化すると
親日派と思われたくないためもあってのことか、
魯迅の親族の中からも日本人の悪口を言う
者が出て来ます。・・」(p115~116)

「日中関係で議論するのは気楽ではありません。
タブーが多いからです。
実はその種のタブーが強かったために、
日中の相違を実感している人も
表立って口を開かない時期が長く続きました。
しかしそのことは裏返して言うと、
私たち日本人は、自分たちが
現在享受している言論の自由や人権や
民主主義的権利の尊さを積極的に評価していない、
ということになりかねません。」(p117)

「私自身は中国大陸で数回にわたり
数カ月ずつ暮した者ですが、
短期の旅行者のみならず長期の滞在者でも
日中近代化の比較論はまだしも、
日本と中国の政治体制の相違に由来する
価値観の相違を積極的に大きな声で論じる人は
存外少なかった。
これは一つには日本人のいま述べたような
遠慮に由来しますが、
二つにはかなり多くの日本人はその相違について
無自覚だからだと思いました。
日本人自身がそのように鈍感であるとすれば、
一般西洋人が日本と中国の相違について
きちんと認知しないのは当然でしょう。」(p117~118)

第二章の最後は
夫婦で笑う箇所がありましたので、
引用しておきます。

「大陸にもいい中国人は大勢います。
好意は好意を呼ぶものです。
片言の中国語を話す私と妻は、二昔前、
北京でタクシーの純朴な運転手に
『あなた方はいい人だから日本のような
悪い国に帰らないで中国に住み着け』と
真顔でいわれました。
『年老いた母がいる』といったら
『お母さんもこちらへ連れてこい』というから、
そのときは家内と笑いましたが、
このような日本悪玉イメージの刷り込みが
続いているのかと思うと心配です。
しかし、日本を仮想敵国に仕立てることによって
十三億の中国人民の結集をはかっているのが
習政権ではないでしょうか。」(p120)


以上、第二章だけを、読んだので
すこし引用させていただきました。
読んでは、すぐに忘れる私ですが、
繰り返しておきたくなります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダンテをよもうと思った。

2014-06-05 | 詩歌
平川祐弘著「ダンテ『神曲』講義」(河出書房新社)は
「まえがき」(p9~18)から楽しい。
ちょっと、本文へうつるのが惜しいぐらいの楽しさ(笑)。

ということで、ボンヤリしていたら、
黒田三郎の詩「あす」が思い浮かぶ。


   あす

 うかうかしているうちに
 一年たち二年たち
 部屋中にうずたかい書物を
 片づけようと思っているうちに
 一年たった

 昔大学生だったころ
 ダンテをよもうと思った
 それから三十年
 ついきのうのことのように
 今でもまだそれをあす
 よむ気でいる

 自分にいまできることが
 ほんの少しばかりだとわかっていても
 でも そのほんの少しばかりが
 少年の夢のように大きく
 五十歳をすぎた僕のなかにある


さて、黒田三郎さんは、六十歳を過ぎる頃は、
もう、ダンテを読んでいたでしょうか(笑)。

ということで、
平川祐弘氏の「まえがき」を引用。

「・・2007年春、
私が関西での生活から東京に戻るや、
荻窪の読売文化センターは私を講師に招いた。
東大時代の私の師の島田謹二教授も晩年
そのセンターで講義されたから、私もいかがですか、
という言葉巧みなお誘いであった。・・・・
私は喜んでお引き受けした。・・・・
私自身、開店休業になりはせぬか、とひそかに
おそれつつ教場に赴いて驚いた。四半世紀昔、
島田先生の講義に列した方々が、今度は私の
『神曲』講義にも現われたからである。
それやこれやで私は、かつてない熱心な、
社会体験の豊かな、年齢も学歴も高い聴衆を
相手にお話することとなった。・・・・
聴衆の皆様は、大学教授も、家庭婦人も、
理学博士も、学部長も、元会社役員も、編集者も、
大学院生も、また山梨の笛吹川の奥から上京してくる
学士号をもつ葡萄作りの方もおられた。どなたも
ダンテの専門家ではない。とはいえ、かつて
これほど知的水準の高い人々を最高学府と呼ばれる
場所でも教えたことはない。これこそが日本社会の
知的ソフィスティケーションを示すものではあるまいか。
・・・まことに嬉しかった。」(p15~16)

う~ん。その時の講義を
読めるしあわせ(笑)。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

座布団二つ。

2014-06-04 | 地域
平川祐弘著「日本人に生れて、まあよかった」(新潮新書)
のあとがきに、
「八十路にはいって評伝『竹山道雄と昭和の時代』『ダンテ「神曲」講義』・・・等の書物を続けて出しました。」(p261~262)とあったので、
それじゃ「竹山道雄と昭和の時代」の次に読むのは
「ダンテ『神曲』講義」にしよう(笑)。
というので古本で注文することに、

それが今日届く。

サンブックス(新潟県山木戸)
3000円+350円=3350円

この古本は新刊同様、頁もきれい。
平川祐弘著「ダンテ『神曲』講義」
(河出書房新社・初版2010年)には
レジの領収書がはさまっておりました。
興味深いので、引用。

 ジュンク堂書店 新潟店
 日付は、2013年5月23日
 定価は、5460円

う~ん。読もうとして買ったのでしょう、
けれど、きれいなままに古本となり、
それが、今日私の手に届いたのでした。
何だか、他人事ではないような(笑)。

さて、全503頁と索引付
第一回をひらくと、
古今和歌集・往生要集・伊勢物語・
源氏物語とか、日本人名がでてくる。
何の講義だろうと、おもしろそう。
うん。新潟店で買った人も、
そう思って5460円を払ったのかもしれないなあ。
ここまでは、他人事ではありません(笑)。


さてっと、
ちかくにあった
上原浩治著「覚悟の決め方」(PHP新書)
をもう一度手にとる。
あれれ、新書カバーの上に
カバーが重なっておりました。
重ねた表紙カバーに上原選手の写真入り。
新書の帯というのはありますが、
カバーの重ねとはすごいなあ(笑)。
せっかくなので少し引用。

「むろん、言葉の壁はあるし、
慣れない環境で戸惑うことは多い。
移動は長距離で、しかも時差が加わる。
とくに西海岸から東海岸への移動はきつく、
一時間とか三時間の時差はジャブのように
身体に効いてくる。ほとんど休みもない。
日本では週一日は試合がないけれど、
メジャーでは20連戦もめずらしくない。」(p141)

「すでに述べたように、この五年間、
私はいろいろなことを我慢してきた。
私はお酒がとても好きなのだが、
外にはまったく呑みに出かけていないし、
家でも缶ビール二本までと決めている。
外食もほとんどしていない。
毎日決まった時間に起き、
決まった時間に球場に行き、
決まったトレーニングをして、登板に備える。
試合が終われば、また軽くトレーニング
をしてまっすぐホテルに帰り、入浴と
ひとりだけの寂しい食事を済ませたら、
日課の電気治療をして、また明日に備える。
贅沢といえば、バスタブに入れる
さまざまな入浴剤くらいといってもいい。
できることなら・・・・
夜の街に繰り出して羽目を外して
騒ぎたい時もある。
でも、そうして得られる楽しさや充実感、
満足感と、野球で結果を残す楽しさ
・・・・・・
それは比較にならない。言うまでもない。
野球で結果を出すほうが、
はるかに楽しいし、充実感と満足感
も味わえる・・・
だいたい、遊びは引退してからいくらでも
できる。しかし、野球はいましかできないのだ。
そう思えば、多少の我慢はなんともなくなる。
・・・・」(p147~148)

う~ん。座布団二つ。
じゃなかった。表紙カバーを二つ
重ねた気持ちがわかるような(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

情報公害と過疎の町。

2014-06-03 | 地域
注文してあった
樺島忠夫著「日本のことば」(ポプラ社)が届く。

夢屋(北九州市戸畑区中原西)
800円+送料300円=1100円
古本感はあるものの、読むに支障はなし。
表紙をひらくと、ペン字で
「○○様 樺島忠夫」と署名入りでした。
とりあえず、ネット古書店で一冊しか
検索できなかったので、注文したのですが、
それが署名入り。まずはめでたい(笑)。

そそくさと、第一章と、最後とをひらく。
本文の最後に、
塩田丸男著『情報公害』からの内容引用があります。
中学一年生に、電話で、ある場所への道順を聞く。
というエピソードでした。その中学生は
図式を描くのは、お手のものなのに、
電話では、まるで答えられなかったのだそうです。

「私はやっぱり、
知識(情報)の全面的な視覚化は、
コミュニケーションを阻害する
要素を持っていると思わずには
いられない。」(p235)

「テレビや劇画の影響で、
絵で表現することはできても、
ことばによって表現することは
得意でないというのでは、
情報公害の被害者になっていると、
考えなければならない。」(p236)

こう、樺島忠夫氏は、まとめられております。


さっそく、以前に整理し並べた未読本棚に、
塩田丸男著「文章毒本」(白水社)があった
のを思い出して、とりだしてくる。
こちらも、本文の最後をめくる(笑)。

そこに、こんな箇所。

「私の生れ故郷は山口県の日本海側の一寒村で、
人口二千人足らずの過疎の町である。
過疎になったのは人々がつぎつぎと都市へ出て
いってしまったからだが、町の郵便局長が
志のある人で、町を出て全国にちらばっている人
たちに、生れ故郷のことを忘れないようにと、
年に四回、謄写版刷りの『ふるさとだより』を
つくって郵送している。・・・
B4版の紙一枚だけの『ふるさとだより』には
町の人々の消息などが記されているだけであり、
格別のことは書かれていない。
文章もお世辞にもうまいとはいえない。
しかし、故郷のことを忘れずにいて下さいよ、
という郵便局長の熱い気持は
紙の表にも裏にもあふれている。
それが読む者の心を搏つのである。
文章といものの究極は、ここではないか、
と私は痛切に思う。」(p235~236)

ちなみに、塩田丸男さんは
1924年生れ、読売新聞記者になりました。

さてっと。高齢過疎の町に、私は住んでおり
郵便局長の思いは、人ごとではありません。


もどって、樺島忠夫著「日本のことば」は
入門書の結構をそなえた一冊で、
これ、手に入れてよかったです(笑)。

本購入の経緯を追記すれば、
ブログ「ことばの本の森」2014年5月30日に、
樺島忠夫著「日本のことば」(昭和49年発行)
の紹介文が載り、その文への興味から注文。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8冊のイソップ。

2014-06-02 | 本棚並べ


「新編イソップ寓話」川名澄訳(風媒社)
「通俗伊蘇普物語」渡部温訳(東洋文庫)
「キリシタン版エソポ物語」(角川書店)
平川祐弘著「東の橘西のオレンジ」(文藝春秋)
「万治絵入本 伊曾保物語」武藤禎夫校注(岩波文庫)
「お伽草子 伊曾保物語」(新潮古典文学アルバム)
絵本「いなかのネズミとまちのネズミ」蜂飼耳(岩崎書店)
「イソップのお話」河野与一編訳(岩波少年文庫)


うん。この8冊のイソップが、
今の、私の楽しみなんだ(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする