和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

だからね。大事なのは。

2018-04-14 | 道しるべ
丸谷才一著「思考のレッスン」(文藝春秋)は、
初出『本の話』(平成10年5月号から平成11年3月号まで連載)
に掲載されており、その小冊子を楽しみに読んだことを
思い出します。

最後の「レッスン6 書き方のコツ」には

「文章で一番大事なことは何か?
それは最後まで読ませるということです。
当り前のようだけど、これがむずかしい。
たとえば新聞に載る随筆、最後まで読みますか?
みんなたいてい途中でやめるんじゃないかなあ。

 —— えー、筆者にもよりますが(笑)

僕なんか、たまに最後まで読むと、
すごくもうかったような気がする(笑)。
手紙だってそうでしょう。個人的な用件なら、
最後まで読み通すけれど、
刷り物になっている手紙なんかまず途中でやめる。
だから、文章で一番大事なことは、
とにかく最後まで読ませることなんです。
憤慨しながらだって、最後まで読むことになれば、
ある意味で及第点なんです。」
(p270~271)


はい。楽しみに読んでいた最後の章に、
こんな言葉があったのに、驚きました。
こんなことを、言えるなんてね(笑)。


さてっと、
今回、気がついた箇所はというと


「だからね、大事なのは、
日本の文学者であることを、
不利な条件だと考える必要はないってことです。
悪条件と言われているものが、
実はものすごい好条件であるかもしれない。
われわれの中には古代的なもの、中世的なもの、
みんな残っているわけです。
それを見ることによって、
ヨーロッパの学者や作家たちが気がつかないもの、
詩人たちが気がつかないもの、
それを僕たちは使えるかもしれない。

なんと言ったって、
こんなに持続的に一国の文学が続いている国は、
他にないわけですからね。
だからその伝統の持続性、それを逆手に取って、
思いもつかない新しいものができるかもしれない。
そう僕は思うんだなあ。」(p91)


ここで語られている
『われわれの中には古代的なもの、中世的なもの、
みんな残っているわけです』
『その伝統の持続性・・・思いもつかない新しいもの』
という指摘は
そのままに、『仏教』に隠されていると
私には思えるのでした。
うん。年齢のせいでしょうか(笑)。

もし、年齢のせいなら、
年を取るのも悪くない。
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朝日以外の新聞は、絶対に読んじゃいけない。

2018-04-13 | 朝日新聞
『非国民』というのは、
戦争中に喧しく言われ続けたそうですが、
現在『非国民』という使い方は
どういう風に言葉を変えているのか?

こういう質問に、どう切り込めばよいのか。

市民団体にあらずんば、民主主義にあらず。
非国民。非市民団体。

韓国の現状を知らせてくれる黒田勝弘氏は

「各種のデモや集会など左派・革新系の政治的動きは
『市民団体』と称して前向きに報道される。
ところが右派・保守系のそれは『市民団体』ではなく
『右翼・保守団体』といわれ、かつ無視されることが多い。」

日本でも、マスコミでの記述は韓国並の『市民団体』。
というのが、残念ながら、言葉の使い方の類似性。

日本で前向きの報道される『市民団体』
日本でマスコミから排除されることが多いのは
『非市民団体』であって、それは
『右翼・保守団体』とくくり、無視される対象である。

なにやら、「広辞苑」に記述はなくとも、
「悪魔の辞典」に、記述がありそうです。

『朝日新聞以外の新聞は、絶対に読んじゃいけない』
という呪縛フレーズも、『悪魔の辞典』にならば、
しっかりと記述されてるかもしれない。

たとえば、典型的な軍国時代。

「・・陸軍の学校でしょうね。
幼年学校でも、士官学校でも、
『教科書以外の本は、絶対に読んじゃいけない』
と言われていた。

そんなわけで本を読まないまま育って、
その分、決定的に世界が狭い、
そして思考が浅薄な軍人たちが国政を預かったから、
日本は滅んだんです。」

軍国時代と韓国でいうところの市民団体時代。
どちらも、世界が狭い。

『朝日新聞以外の新聞は、絶対に読んじゃいけない』
と、無意識の領域の容赦ない忖度。そんなわけで、
朝日新聞以外の新聞を読まないままに育ってしまい、
『その分、決定的に世界が狭い、そして思考が浅薄』。


現在ただいまの状況は、
朝日新聞購読者は多数派。
産経新聞購読者は少数派。
けれども、国際状況の羅針盤として、
産経新聞の状況把握の確かな提供への信頼感。

それを理解しようとする読解力などいらない、
それよりも、マスコミと、皆で渡れば怖くはない。
という、朝日新聞の「声」欄ならば支持してくれる世界。
あなたは、マスコミという多数派に組むするがいいのだ。


うん。

『非国民』
『非市民』
『非朝日新聞』

『非』が並ぶ三題噺。




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〇〇さん。

2018-04-12 | 地域
NHK朝の連続ドラマを見ていたら、
おじいさん役の中村雅俊が、家族でお墓参りに
行った場面がありました。
青空の下、家族が座って、眼下の街中を見下ろしています。
おばあさん役の風吹ジュンが亡くなって、
おじいさん役の中村雅俊が、お墓参りで空にむかって
おばあさんの名を呼びます。
「〇〇さん・・・」
ここでは、「さん」づけで呼びかけておりました。

話は違いますが、
私の連れ合いの母が亡くなって、
どう呼びかければよいのか、
とまどうことがあります。
たとえば、文章を書く時に、
義理の母とするのか、どうか。
そういう戸惑いは、文章のぎこちなさに
すぐ直結するような気がします。

「〇〇さん」と、呼びかけると、
私には、つぎにつながる言葉が、
自然と生まれてくる気がします。

ということで、
「〇〇さん」という呼びかけが、威厳をもち、
しっかりと落ち着いた言葉の表現として、
私へと伝わってきました。
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本の表紙へのカバー

2018-04-11 | 好き嫌い
今日は出かけたので、読まなくても、
いちおう、本をもって出る。

その際に、本にカバーをしてゆきました。
以前に、A3にコピーしてあったマンガがあり、
それをカバーに折りこんで、
それで、本の表紙の目隠しとなりました。

そこで、思ったのですが、気に入った
マンガの一コマをコピーしておいて、
それでもって、自分だけのブックカバーを
つくってしまう。

うん。次に出かけるときは、
これでいきます。

なぜ、こんなことを書いているかというと、
はい。持って出た本は、読まずじまいでした。
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「市民団体」。

2018-04-10 | 産経新聞
今日の産経新聞(4月10日)。
黒田勝弘氏の「緯度経度」。
そのはじまりは、

「平昌五輪の際の北朝鮮芸術団の韓国訪問のお返しで、
韓国の芸術団が平壌を訪れた。そのときの講演の様子が
5日夜、韓国で紹介された。それが何と、地上波のテレビ3社
(KBS,MBC,SBS)全てがゴールデン・タイムの午後8~10時に
同時放送したのだ。・・・政府提供によるタダみたいなもの
だから各局とも飛びついたのかもしれないが・・・・

この南北芸術公演は韓国ではソウル公演を含め全部そのまま
テレビ放送されたが、北では放送されていないという。・・」

あとは、中頃から、ちょっと引用。


「ところで韓国では政権が代わるとテレビの社長が代わり、
番組が代わる。・・・・

一つ革新系の労組出身の社長が新しく就任したMBCでは、
それまで生活情報中心で政治的話題は登場しなかった
朝の主婦向け番組に、北朝鮮モノや旧政権たたきの
政治モノが挿入されるようになった。いかにも
無理やりという印象で結果的に文政権への『ヨイショ』
になっている。」

ちなみに、日本では『現政権たたきの政治モノ』が
マスコミの主導権を恒常的にとりしきっていますが、
そんな日本のマスコミの姿は、韓国マスコミとの比較で、
あらためての浮き彫りになる。少なくとも考察の対象となる。
それほどに、隣の国・韓国の情報は貴重ですね。

さて『ヨイショ』の次を、黒田勝弘氏は
こう続けておりました。

「それに興味深いのは、
各種のデモや集会など左派・革新系の政治的動きは
『市民団体』と称して前向きに報道される。
ところが右派・保守系のそれは『市民団体』ではなく
『右翼・保守団体』といわれ、かつ無視されることが多い。」

思い出すのはWILL3月号の対談での
長谷川煕(ひろし)氏の言葉です。

長谷川】 私は産経と朝日をとっていますが、
この二紙を比較して読んでみると、たとえば今、
日本に対する歴史認識上の侮蔑が海外で加えられていても、
こういった国際現象は朝日ではまったくわかりません。
・・・朝日の読者の方は目隠しされてしまっているんです。

必要があって新聞の切抜きをよくしますが、
産経に関しては切るところが多くて困っているんです。
それだけ取っておきたい記事が目立つ。
国際的な関係は得にそうです。
(p115)


はい。「国際的な関係は特にそうです」とあります。
韓国の「市民団体」の定義を、
そのままに、日本の『市民団体』にあてはめたくなる。
これは、考察に値する、刺激的な情報なのです。
それなのに、朝日新聞では目隠しされていて、
朝日の各紙面で繰り返して「政権たたき」の暗唱暗記で、
歪曲して読ませようとし、俯瞰して考えようとさせない記事構成。
その見事なまでのテンコ盛りが、私には朝日新聞なのだと写る。

私は、朝日新聞購読者のあるお一人の方へ
このメッセージを発信しているつもりでおります。
賛否はどうあれ、あたらしい切り口で
朝日新聞をお読みいただきたい。
各頁見出しによる反復繰り返しの刷り込みが怖い。
私が、朝日新聞を購読していたころは、
AERAや週刊朝日の広告に、『声』欄、家庭欄、教育欄。
さらに朝日歌壇・朝日俳壇と一丸となっておりました。
いまは、どうですか?


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考えるレッスン。思考のヒント。

2018-04-09 | 温故知新・在庫本
丸谷才一著「思考のレッスン」に
小林秀雄が言及されている箇所あり。

「ホーム・グランド問題に関して、
僕は年来疑問に思っていることがあるんです。
それは、小林秀雄という人のホーム・グランドは
一体何なのだろうということですね。
これが昔からよくわからない。」(p150)


はい。丸谷さんは昔からの疑問を語られています。
そういえば、
こんな箇所もありました。

「よく自分の疑問を人に話す人がいますが、
これはお勧めしません。というのは、
そんなことを他人に話したって、
だいたい相手にされない(笑)。
相手にされないと、
『これはあまりいい疑問じゃないのかなあ』
と自信をなくして、せっかくの疑問が
育たないままで終ってしまう。

一番大事なのは、
謎を自分の心に銘記して、
常になぜだろう、どうしてだろうと思い続ける。
思い続けて謎を明確化、意識化することです。
そのためには、自分のなかに他者を作って、
そのもう一人の自分に謎を突きつけて行く必要があります。

普通の意味で他者と言えば、世間のことですね。
ところが、世間を相手にしてはならない。
なぜかと言えば、世間は謎を意識しないからです。
そんなことにいちいちこだわっていると
成り立って行かないから、
もっぱら流行に従って暮す。
それが世間というものなんですね。
しかも世間は実に臆病です。」(p188)

「たちまちにしてみんな沈黙した。
なぜそうなったかと言えば、
世間というものが実に臆病だからです。
しかも、世間は非常に付和雷同型です。」(p190)



う~ん。
そういえば、小林秀雄に「考えるヒント」
という短文のつらなりがありました。

丸谷才一の「思考のレッスン」は
「考えるヒント」へのレッスン教本に
読めなくもない(笑)。
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きょうは暇だから。

2018-04-08 | 温故知新・在庫本
以前に読んですっかり忘れていた本。
そんな本をたまには取りだす。

パラリとひらくのは
丸谷才一著「思考のレッスン」(文芸春秋)

読んだときは、
何度も読み返そうと思っていて、
そのまま本棚に置いたままでした(笑)。

さてっと、
パラリとひらくと。

「自分が読んだ本で、『これは大事だ』
という本がありますね。
あるいは、一冊の本の中で、『これは大事だ』
という章がある。そういうものは、
何度も読むことが大切ですね。
繰り返し読んだり、
あるいは何年か間隔をおいて読む。」
(p135)

はい。「何年か間隔をおいて読む。」
手持ちのこの本は1999年発行とある。
もうすぐ20年が過ぎようとしてる。


また、パラリ。

「きょうは暇だから本を読もうというのは、
あれは間違いです。
きょう暇だったら、
のんびりと考えなくちゃあ。
考えれば何かの方向が出てくる。
何かの方向が出てきたら、
それにしたがってまた読めばいい。

そして、考えたあげく、
これは読まなければならない本だとわかれば、
毛嫌いしていたサドでも、徳富蘇峰でも、
その必要のせいでおもしろく読めるんですよ。」
(p141)

ああ、「考えたあげく」
というのは、私には無理(笑)。
なんて、茶々をいれての、パラパラ再読。


「とにかく本というものは、
読まないで大事にとっておいた
ところでまったく意味はないんです。
読むためのものなんだから、
読みやすいように読めばいい。」
(p169)

はい。古本を購入するようになって
古いのに、どのページも真新しい本に
出会うと、パラパラ読みでも、
開けばいいのだ。と思います。
それにしても、古本を買っても、
開かなかったりする私です(笑)。


「思考のレッスン」のはじめの方には
こんな箇所。

「文筆業者は、まず第一に、
新しいことを言う責任がある。
さらに言えば、
正しくて、おもしろくて、
そして新しいことを、上手に言う、
それが文筆家の務めではないか。
もっとも、
『正しくて、おもしろくて、新しいことを、上手に』
と、四拍子全部そろうことはなかなかむずかしい。
それならせめて、新味のあることを
言うのを心がけるべきではないか。
単なるイミテーションによる文章、
総まとめの文章、調べて報告する文章、
それだけのものを書くんだったら、
黙って寝ころんでいるほうが
マシじゃないかなあ(笑)。」
(p9)

はい。ブログに毎日書こうと思いながら、
書けずに、高望みばかりする私には
なんとも、耳が痛い言葉です(笑)。

「思考のレッスン」は
最初に、こうあって、
これで、最後まで読ませる。

いったい、この本のどこが良かったのか?
暇なとき、考えてみよう、などと思ったまま、
そのまま、本棚でホコリをかぶっておりました。

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道元からいわせれば邪道でしょうな。

2018-04-07 | 先達たち
谷川徹三対談集「九十にして惑う」の
「道元『正法眼蔵」の読み方」は
まず素野福次郎氏(大正元年生れ)から語っておりました。

素野】私の若いころは、
戦争が壁のような感じで立ちはだかっていて、
好むと好まざるとにかかわらず、
避けては通れなかったわけです。
戦争にいって死ぬというのは、
既定の事実のような感じで横たわっていた。
そうなるとやはり死ぬ前に、
自分がここに生かされていることの
意味を確かめたくなるものなんですね。
そんなことが契機で、
道元に触れるようになったのだと思います。

谷川】 すると、戦前ですか。

素野】召集されたのが昭和16年ですから、
その前後ですね。
(p159)



谷川徹三氏も語ります。

谷川】 道元の禅は公安禅ではありません。
只管打坐です。しかし、その只管打坐すらしていません。
『正法眼蔵』を読むだけです。
道元からいわせれば邪道でしょうな。
私は昭和40年に喉頭がんで築地のがんセンターに入院し、
リニアックという大きなグルグル廻る
放射線治療器で治療を受けました。
あとでがんにもいろいろあって、
喉頭がんは転移率が低いということがわかりましたが、
そのときはやはり、死を意識せざるを得ませんでした。
その入院のとき持っていったのが、『正法眼蔵』でした。
それから道元が一段と魅力を増してきて、
最近ますます大きなものになっている感じがします。
(p162) 
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そうすれば必ず何人かは。

2018-04-06 | 先達たち
谷川徹三対談集「九十にして惑う」(竹井出版・昭和61年)
が古本で安かったので購入。

谷川徹三氏の本は未読。
ですが、詩人の谷川俊太郎のお父さん。
ということは、知っておりました。

略歴をみると

「明治28年愛知県常滑市生まれ。
一高を経て、西田幾太郎を慕い
京都大学哲学科へ進み大正11年卒業
・・・・」

とあります。
その対談のなかに
素野福次郎氏との
「道元『正法眼蔵』の読み方」
と題する対談がありました。

その対談の最後を引用。

谷川】 『正法眼蔵』にチラリとでも触れて欲しいですね。
そうすれば必ず何人かは、あの道元の魅力に打たれるはずです。
『正法眼蔵』が難解だというなら、まず『随聞記』でもいい。

素野】 道元に対する態度、もっと大きくいうなら
宗教とのかかわり方は人さまざまだし、
またそれでいいと思うのです。
しゃちほこばる必要はない。
日々の行動のヒントを得るといったことだって、
いいと思うんです。

谷川】 とにかく手にとって欲しい。
そして読みに読め、ただひたすらに読め、
と言いたいですね。
それが道元に近づく王道です。

(p179)



こんな箇所も引用。

素野】 道元は宋でなかなか正師にめぐり会えなかったのですね。

谷川】 そうです。
正師とすべき人に会えないまま、
諸山歴訪の旅にのぼり、
一時は帰国しようかと考えたりもします。
その途中で、かねて名声を耳にしていた
如浄が天童の住持になったことを聞いて、
急いでまた天童山に登るんです。
・・・・(p164)

うん。
そういえば、曹洞宗のお経「修証義」に

南無帰依佛、
南無帰依法、
南無帰依僧、
佛はこれ大師なるがゆえに帰依す、
法は良薬なるがゆえに帰依す、
僧は勝友なるがゆえに帰依す、
佛弟子となること必ず三帰による
・・・

という箇所があったなあ。
まわり道でも、
また、道元とつながりました。
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大勢順応主義がなく、流行追随主義がない。

2018-04-05 | 先達たち
ひさびさに、本棚から取り出した
「桑原武夫集」をパラリ。

「桑原武夫集」(岩波書店)は、全10巻。
その10巻目の月報に、こんな箇所。


「・・着想が独創的で、
ほとんど奇想湧くが如くであること。
文において然り、また談において然り、
大勢順応主義がなく、流行追随主義がない。
誰も指摘しなかった問題を、
誰も気づかなかった角度から照し出す
ということがあって、たとえその問題が
天下の大事でなくても、読んで面白く、
聞いて愉しい。
 ・・・・・
奇想は、劇的でなく、感情的でなく、
一本気でなく、一見奇とみえて
実は理路の当然なるものである。
とりのぼせて熱くなった頭を冷やすには、
けだし『桑原武夫集』が、無上の良策だろう。」


はい。文藝春秋が書いていようが、
週刊文春が書いていようが、
週刊新潮が書いていようが、
まして、朝日新聞が書いていようが、
大勢順応主義で、流行追随主義の
マスメディアや、コメンテーターが
どのように語り、報道していようが。

いまこそ試される
『大勢順応主義がなく、
 流行追随主義がない。』

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新学期がはじまり。

2018-04-05 | 短文紹介
入学式が近づき、
もう今日は、始業式でしょうか。

さてっと、
「四季 終刊丸山薫追悼号」
に、落第、留年して新学期をはじめた箇所がありました。
吉村正一郎氏の追悼文で、吉村氏ご本人について語っております。
興味深いので、長くても引用。

「・・わたしは三高入学の念願を果たして、
人並みに新入生の歓びを味わったのだが、
その歓びが薄れるにつれて、日々の学校生活が
何か無意味で味気なく思われ出した。
何のために学校に行くのか。
行かなければならないのか。
いくら考えても納得のいく答えが得られぬ
疑問にとりつかれ、わたしは次第に
虚脱と無力感に陥った。
ノイローゼ症状はだんだんひどくなり、
夏休みが過ぎ九月の新学期がはじまる頃には、
わたしはもう学校に行く気がしなくなり、
そのままずるずると教室に出なくなった。
同じ中学から来たI君が心配して
ときどき訪ねて来て、
教室に出たくなければ仕方がないが、せめて
試験だけでも受けてはと親切に忠告してくれるのだが、
そういわれるとわたしは余計に意固地になり、
反抗期の子供のように妄念にしがみついて離れなかった。

わたしが三高を志望したのはその頃、
両親が京都に住んでいたということよりも、
この学校が自分に一番『適当』だと前々から考えていたからだ。
だから三高そのものが嫌いなはずはなかったが、
わたしは学生生活一般に抽象的観念的に疑問をいだいたのだ。
いま思えば、他愛のない哲学的感傷に過ぎない

ノイローゼは時が癒してくれる。
数カ月後にわたしはどうやら精神のバランスをとり戻し、
学校に戻る気になった。わたしは
憑かれていた得体の知れぬものから解放され、
さっぱりした気分になった。
しかし当然のことながら、
わたしは落第――いまでいう留年になった。

新学期がはじまり、教室に出ると、
知った顔が一人まじっていた。丸山(薫)君だった。
『ああ、君もか!』
わたしは思わず心中で叫びたくなった。
入学した年はわたしは彼をそれほど知らなかったが、
この再会以後、同病相憐れむというのではないが、
わたしたちは急速に親しくなった。

文化丙類(フランス語)の新しいクラスには
丸山君のほかに三好達治、桑原武夫、貝塚茂樹の諸君がいた。
それ以来わたしたちの五十年の交遊がはじまったのである。」
(p29~30)



ちなみに、この時に新入生で入った桑原武夫氏が、
このクラスのことを回想した文があります。

「桑原武夫集10」(岩名書店)にあります。
「半世紀の思い出 吉村正一郎を中心に」(p101~107)。


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詩というもの。

2018-04-04 | 道しるべ
丸山薫の短文「詩というもの」は、
以前、読んだことがあり、私の好きな文です。

それは、筑摩書房
現代日本文学大系第93巻「現代詩集」の
月報のはじまりに掲載されておりました。
「現代詩集」の本文は、私のほとんど読んだことのない
詩人の詩集から選ばれておりました(笑)。
ちなみに、その編集解説は篠田一士。
(「四季終刊・丸山薫追悼号」に篠田氏の文あり)

さてっと、「現代詩集」の中にズラッと並んだ詩は
その雰囲気に圧倒されて、私は読まずじまい(笑)。
そのかわり、月報の「詩というもの」を
読んだだけでお終いにしておりました。

いま、丸山薫の年譜をひらくと、

昭和47年(1972) 詩集『月渡る』を刊行。
昭和48年 筑摩書房より『現代日本文学大系』第93巻が
      刊行され、『物象詩集』の全編を収録。
昭和49年75歳 10月21日明け方、蝉川の自宅で永眠。

はい。「現代日本文学大系」の月報の文は、
それこそ、丸山薫の最晩年の文なのだと、
今頃になって、気づかされます。

その「詩というもの」から引用させていただきます。


「・・というのも先にも述べたように、
ポエジーの核心に在るものは詩人の
内部を走り抜けた言外の感動だからである。
つまりてんで言葉になり得ないものを
書いているのだから、その『なり得ない』
空洞の部分をそのまま、作者の胸から
読む側の胸へ受け取ってもらうより
ほかに手はないのである。
つまるところあくまで
作者各個から読者各個への共感という、
無言の内部的世界に詩は位置している。
思えばさびしいことだ。・・・」


さてっと、今回この短文を読み直していたら、
そのすぐ前の箇所も、引用したくなりました。


「・・・詩が政党のスローガンでも
組合運動のプラカードの文句でもない以上、
『沖縄を返せ』も『公害追放』『合理化反対』
『賃金値上げ』etcがたとえ現時点での
正しい要求であるにしろ、
その憤りや悲願も詩的感受性ないしは
詩的精神をくぐらさぬかぎりは、
詩の主題とはならない。

マスコミ・ジャーナリズムはとかく
本命以外の活動に眼を着けて、
それを必要以上に高く評価したがる傾向がある。

・・・文芸・美術にわたってそうだが、
ここで詩の世界に限っていえば、
全集の編集委員長になたり、
電波放映、放送に顔を出したり、
詩人団体の役員になったり、
政治デモに参加したりすることで
エライ詩人になる。

そうした仕事や活動がまったく
無意味だというのではない。
どころか無くてはならぬことである
こと言うまでもないけれど、

ただそんなことでそれらの詩人たちを
高く評価するとしたら間違いも甚しい。
詩人の本命はあくまで詩を書くことであり、
行動も作品を生むことでなければならぬ。

シカルニその本命をよそにして、
いや、本命の外側ばかりを飛びまわっている
論議虻(あぶ)のなんと多いことか!

などと雑言めいたことを吐いてみたものの、
論議虻が多いのも無理ならぬことにも思われる。
というのも先にも述べたように、・・・・」


ここから、最初に引用した箇所へと
つながっていきます(笑)。

この「詩というもの」が
丸山薫の最晩年の文だと
わかっただけでも、
私には収穫でした。







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全日本児童詩集1950。

2018-04-02 | 詩歌
2018年の3月は、
足立巻一・竹中郁・丸山薫と
読み齧り(笑)。

その中で、おもわぬ収穫。

関連で「エイヤー」と
ネット購入ボタンをクリックして
購入した古本
「全日本児童詩集1950」は
図書館の廃棄本。
ひらいてみれば、
「さしえ」の方々は

小磯良平 前田藤四郎
吉原治良 田川勤次
井上覚造 池島勘治郎
川西 英 沢野井信夫
須田剋太 津高和一
山崎隆夫 早川良雄

そうてい考案 竹中郁

児童の詩の脇に花束でも置くように、
各詩ごとに挿絵が入ります。
黒と赤の二色ですが、豪華です。
それぞれの詩に合わせたような、それから
自由に連想されたような図が描かれ、
あれ、時に青色や緑色もあざやかに。
そんなページをめくる楽しさ、素晴らしさ。

買えてよかったなあ。
まだ全頁見ていない。

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主なき部屋の、ランプのように。

2018-04-01 | 詩歌
古本で「四季 終刊 丸山薫追悼号」(昭和50)を購入。

古本屋さんは
永楽屋(愛知県尾張市吉岡町)
700円+送料450円=1150円でした。

追悼文が並ぶ405頁。
中身がつまった一冊です。

さてっと、
それとは別に(笑)。
ここでは、
丸山薫の詩「ランプのように」をとりあげます。

どこから始めましょう。
「無着成恭の詩の授業」(太郎次郎社)という
古本も同時に注文して、それも届きました。

無着成恭氏の本の「あとがき」は

「この本は、わたしにとって『山びこ学校』、
『続山びこ学校』につづく、いわば第三の実践記録です。」

とはじまっております。
その詩の授業の中に、
丸山薫の詩『ランプのように』がとりあげられております。

詩をかかげたあとに

「この詩をとりあげた理由として、授業案には、
『この詩は五十歳をすぎた一人の男性が五十年間
照らしつづけてくれた母親と、
二十年間愛しつづけてくれた妻に対して、
しみじみとした気持ちで『ありがとう』と
いっている詩である。
そのような感情が・・・現代の子どもにわかるかどうか
ーーーいや、やっぱりわからせてやる必要があるのだーーー
という気持ちがわたしにはあってとりあげることにした。
・・・・」(p216)


   ランプのように   丸山薫

 生涯 僕を愛した人
 これからも僕を愛そうとする人
 母と
 妻

 母の愛は五十年間 僕を照らし
 三年前に燃えつきた
 僕のこころの片側には陰影(かげ)が出来て
 陰影の中で 僕は泣いた

 妻は二十年の歳月 僕を愛し
 なおたゆみなく愛そうとする

 たぶん 彼女は僕よりも永く生きて
 ひとり耀(かがや)くだろう
 主なき部屋の
 ランプのように

この詩による無着氏の授業の
生徒とのやりとりが紹介されておりました。
その最後に、こんな場面が登場しておりました。


「さて、この『ランプのように』の勉強を
わずか一時間だけしてから一か月もたったある日、
増田美穂が、
『先生、『ランプのように』の感想文、読んで』
ともってきた。」(p235)


あれ、そういえば、
以前購入してあった古本に
丸山三四子著「マネキン・ガール 詩人の妻の昭和史」
というのがあったなあ、と本棚から出してくる。

その「あとがき」はこうはじまっておりました。

「薫が亡くなりまして、ちょうど十年。
一瞬とも感じられる月日でしたが、
松の茂る山を背にした陋屋に独りおりますと、
ふと薫の声に目醒める夜もございます。
こうしたときの慰めは、
薫が残しました作品に触れることでございます。
過ぎし日々が、作品とともによみがえり、
懐かしい歌のように胸の裡をみたしてくれるのです。」
(p255・時事通信社・昭和59年)




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