亀戸浅間神社の境内に、「旧城東電気軌道(城東電車)」の線路で使われていたレールの一部が保存・展示されている。それが、この写真。神社には、もう一本残されていて、そこには、簡単な説明板が立っている。(レールは、イギリス製。)
大正から昭和の初め、江東区・江戸川区には城東電気軌道という会社があった。路面電車(後の市電、都電)。錦糸町-水神森-洲崎、錦糸町-西荒川、荒川を挟み、東荒川-今井の3路線を運行。錦糸町駅前には、錦糸堀車庫があった(現在の丸井のところ)。
東荒川-今井間は、1952(昭和27)年に廃止され、トロリーバス(今井-上野公園)となったが、1968(昭和43)年に廃止。
〔年表〕
1917年(大正6年)12月30日 - 城東電気軌道株式会社の手により、錦糸町 - 小松川間開業。
1921年(大正10年)1月1日 - 水神森 - 大島間開業。
1924年(大正13年)7月11日 - 大島 - 仙気稲荷間開業。
1925年(大正14年)12月31日 - 東荒川 - 今井間開業。
1926年(大正15年)3月1日 - 小松川 - 西荒川間開業。
1929年(昭和4年)5月7日 - 仙気稲荷 - 洲崎間開業(西荒川 - 東荒川間を残し、一応全通)。
1937年(昭和12年)3月25日 - 東京乗合自動車に合併。同社城東軌道線となる。
1938年(昭和13年)4月25日 - 東京地下鉄道が城東軌道線を継承。
1942年(昭和17年)2月1日 - 東京市電気局に買収され、市電路線に編入される。
1972年(昭和47年)までに順次廃止となる。
錦糸町-小松川間(小松川線)は、京葉道路から水神森の先を右折して東南の方向へ進んでいく軌道であった。その終点「西荒川停留所」は、現在の首都高速道路下り線の真下付近。現在は、路面電車が走っていた頃の面影は全くなく、すっかり広い舗装道路となり、周囲の建物も大きな会社ビルや高層マンション、区の大規模な施設となっている。(「83旧文書庫」「85富士塚」もこの線沿線にある。)
レールが保存されているこの神社の近く、旧中川に架かる「亀小橋」は、かつての路面電車専用の橋。この橋の上には、都電が昔走っていたというレリーフが、二つ埋められている。
洲崎(現東陽町)線の専用軌道跡は、現在「亀戸緑道公園」「大島緑道公園」「南砂緑道公園」となっている(そのうち、二箇所は既に掲載済み。なお、「南砂緑道公園」は、かつての「汽車会社・南砂工場」跡地の一部)。
大正から昭和の初め、江東区・江戸川区には城東電気軌道という会社があった。路面電車(後の市電、都電)。錦糸町-水神森-洲崎、錦糸町-西荒川、荒川を挟み、東荒川-今井の3路線を運行。錦糸町駅前には、錦糸堀車庫があった(現在の丸井のところ)。
東荒川-今井間は、1952(昭和27)年に廃止され、トロリーバス(今井-上野公園)となったが、1968(昭和43)年に廃止。
〔年表〕
1917年(大正6年)12月30日 - 城東電気軌道株式会社の手により、錦糸町 - 小松川間開業。
1921年(大正10年)1月1日 - 水神森 - 大島間開業。
1924年(大正13年)7月11日 - 大島 - 仙気稲荷間開業。
1925年(大正14年)12月31日 - 東荒川 - 今井間開業。
1926年(大正15年)3月1日 - 小松川 - 西荒川間開業。
1929年(昭和4年)5月7日 - 仙気稲荷 - 洲崎間開業(西荒川 - 東荒川間を残し、一応全通)。
1937年(昭和12年)3月25日 - 東京乗合自動車に合併。同社城東軌道線となる。
1938年(昭和13年)4月25日 - 東京地下鉄道が城東軌道線を継承。
1942年(昭和17年)2月1日 - 東京市電気局に買収され、市電路線に編入される。
1972年(昭和47年)までに順次廃止となる。
錦糸町-小松川間(小松川線)は、京葉道路から水神森の先を右折して東南の方向へ進んでいく軌道であった。その終点「西荒川停留所」は、現在の首都高速道路下り線の真下付近。現在は、路面電車が走っていた頃の面影は全くなく、すっかり広い舗装道路となり、周囲の建物も大きな会社ビルや高層マンション、区の大規模な施設となっている。(「83旧文書庫」「85富士塚」もこの線沿線にある。)
レールが保存されているこの神社の近く、旧中川に架かる「亀小橋」は、かつての路面電車専用の橋。この橋の上には、都電が昔走っていたというレリーフが、二つ埋められている。
洲崎(現東陽町)線の専用軌道跡は、現在「亀戸緑道公園」「大島緑道公園」「南砂緑道公園」となっている(そのうち、二箇所は既に掲載済み。なお、「南砂緑道公園」は、かつての「汽車会社・南砂工場」跡地の一部)。