亀戸・水神森から分岐した洲崎(東陽町)行きの城東電車は、精工舎の脇を通り、南下します。この線は、明治通りを走る箇所もありましたが、路面電車専用の道が多くありました。
中でも、現在の「南砂緑道公園」は、その広さ・長さから線路跡地としては、整備された公園です。昭和38年当時の航空写真(goo)でもその規模が知れます。 現在は、公団や学校の施設等になって、まったく面影はありませんが、もともと「汽車会社」の南砂工場でした。広大な敷地を擁し、貨物線(新小岩~亀戸~小名木~越中島)の引き込み線もありました。今も、駐車場などのゆとりのある、空間も十分確保された敷地になっています。
明治通りから入って、清洲橋通りまでぐるっと半円を描いた線路跡になっています。工場の外縁をなぞるかのように線路が走り、途中、貨物線と立体交差していました。
この緑道公園。平日の昼前に行ってみましたが、散歩する人、自転車で出かける人、途中のベンチで語らう人々など、地元に密着し、大いに利用されている、とても雰囲気のいい公園のように感じました。
管理も行き届いていて、町会で分担しているのでしょう、ゴミも散乱しておらず、また、落ち葉を集めておく場所などもあります。樹木もとても豊かで、木々の元、静かな緑道です。排気ガスもなく、実に気持ちのいい公園でした。
写真は、モニュメントとして当時の城東電車の車輪が置かれてある所からの様子です。
中でも、現在の「南砂緑道公園」は、その広さ・長さから線路跡地としては、整備された公園です。昭和38年当時の航空写真(goo)でもその規模が知れます。 現在は、公団や学校の施設等になって、まったく面影はありませんが、もともと「汽車会社」の南砂工場でした。広大な敷地を擁し、貨物線(新小岩~亀戸~小名木~越中島)の引き込み線もありました。今も、駐車場などのゆとりのある、空間も十分確保された敷地になっています。
明治通りから入って、清洲橋通りまでぐるっと半円を描いた線路跡になっています。工場の外縁をなぞるかのように線路が走り、途中、貨物線と立体交差していました。
この緑道公園。平日の昼前に行ってみましたが、散歩する人、自転車で出かける人、途中のベンチで語らう人々など、地元に密着し、大いに利用されている、とても雰囲気のいい公園のように感じました。
管理も行き届いていて、町会で分担しているのでしょう、ゴミも散乱しておらず、また、落ち葉を集めておく場所などもあります。樹木もとても豊かで、木々の元、静かな緑道です。排気ガスもなく、実に気持ちのいい公園でした。
写真は、モニュメントとして当時の城東電車の車輪が置かれてある所からの様子です。