おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

77 亀戸梅屋敷跡・臥龍梅

2009-06-04 20:04:56 | 歴史・痕跡
 東京メトロ半蔵門線・錦糸町駅のホームには、名所・名跡のパネルがはめ込まれています。色タイル(?)で縁取られたパネルは、ホームで待つ乗客の心をしばし和ませます。
 その中の一つが、安藤広重作の亀戸・清香庵「梅屋敷」の錦絵。見事な梅の太い幹を中央にあしらった傑作。ゴッホがこの作品を忠実に模写したのは、有名なエピソードです。この梅園は、亀戸の北の端にあったわけです。

左が安藤広重、右がゴッホ。(「Wikipedia」より)

 さらに、この「梅屋敷」には、「臥龍梅」という名木があり、江戸時代より多くの人で賑わう行楽地でした。しかし、1910(明治43)年の大洪水で梅の木はすべて枯れ、しばらくして廃園となりました。
 「臥龍梅」は、 江戸名所図絵には「その花一品にして重弁、薫香深く、形状あたかも竜が蟠(わだかま)り臥すようである」と記されています。
 以下、江東区の作成した説明板の文章。
 
 梅屋敷は、江戸時代から続く梅の名所でした。もとは、本所埋堀(墨田区)の商人、伊勢屋彦右衛門の別荘で清香庵と称していましたが、庭内に梅が多く植えられていたところから「梅屋敷」と呼ばれるようになりました。なかでも「臥龍梅」と名付けられた一株が有名で、これはまるで龍が大地に横たわっているように見えるところから、水戸光圀が命名したと伝えられています。また、八代将軍徳川吉宗も鷹狩の帰りにこの地を訪れました。
 江戸近郊の行楽地として、花の季節にはたくさんの人々でにぎわい、その様子は『江戸名所図会』『絵本江戸土産』(歌川広重)などの地誌にもとりあげられています。歌川広重はこの梅屋敷だけで十数種の版画を描き、とくに「名所江戸百景」の中の、太い梅の古木を手前にあしらった錦絵は傑作のひとつにあげられます。
 明治四十三(一九一〇)年、大雨により隅田川沿岸はほとんど水に浸り、亀戸町・大島町・砂村のほぼ全域が浸水しました。この洪水により、梅屋敷のすべての梅樹が枯れ、廃園となりました

 今、その亀戸の梅屋敷は、完全に消失してしまいました。現在は、浅草通り沿いに説明板と記念碑、細い紅白の梅が植えてあるだけです。
 写真は、その跡地の遠景(北十間川から写したもの)。この辺り、北十間川、横十間川付近には、亀戸天神など、梅の木が多く植えられていて、梅の名所だったようです。
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