江東区スポーツ会館。温水プールによく通いました。ただ車で行くことが多かったので、明治通りから少し入ってそのまま駐車場に。もちろん、「小名木川クローバー橋」が目の前にあっても寄ることもせずに・・・。
最近、ここへ自転車で行ってきました。この橋は、歩行者と自転車のみが通行できる橋なのです。
この橋、猿江(北西)、大島(北東)、北砂(南東)、扇橋(南西)の4つの地区を、小名木川と横十間川の合流点で、十字のように結んでいます。
この橋がなかった頃は、お互いの行き来する橋が限られていて、さぞ不便だったでしょう。まだその時分、この辺り一帯は川をはさんで工場街だったためにさほど不便は感じなかったでしょうが、次第に工場が撤退し、住宅が増えて来たり、スポーツ会館が出来た頃には、さぞかし・・・と思います。
そこで、「地域社会に快適な生活と人と文化の交流を提供できるランドマークとしての意義が深い橋」として計画されそうです。完成は1994(平成6)年。橋の真ん中に四つ葉のクローバーが描かれて、「クローバー」の名称にふさわしい感じです。
小名木川は、1590年頃、徳川家康が小名木四郎兵衛に命令し、開削させた運河です。関ヶ原の戦いの10年ほど前、まだ江戸幕府が開かれる前になります。「小名木川」と名付けられました。
千葉県行徳で作られた塩や、近郊の農村で採れた野菜、東北地方の米などを江戸に運ぶために大いに利用されました。小名木川と旧中川、新川の合流地点には、中川船番所が置かれていました。
近年では、水陸両用の貨物駅「小名木川駅」が出来て、川の行き来も激しくなりましたが、それもすでに使命を終えました。
現在は、西の扇橋閘門と東の荒川ロックゲートによって、隅田川と旧中川を経由しての荒川への通行が可能になっています。
橋の見晴らしは大変すばらしく、南北は親水公園ですが、東も西も広い水路になっています。この日も、大型ボートが西に向かって航行していました。市街地にあって、水を満々とたたえて流れているようです。江東0㍍地帯、かつての水害の大きさを振りかえると嘘のような穏やかな流れです。川と人との関わりの歴史を大事にしながら、この豊かな自然環境を大事にしたいものです。
写真は、クローバー橋から西側(隅田川)を望んだもの。
なお、「江東区スポーツ会館」は耐震補強工事のために、平成21年7月1日(水)より平成22年2月末日(予定)まで、全館休館となるそうです。
最近、ここへ自転車で行ってきました。この橋は、歩行者と自転車のみが通行できる橋なのです。
この橋、猿江(北西)、大島(北東)、北砂(南東)、扇橋(南西)の4つの地区を、小名木川と横十間川の合流点で、十字のように結んでいます。
この橋がなかった頃は、お互いの行き来する橋が限られていて、さぞ不便だったでしょう。まだその時分、この辺り一帯は川をはさんで工場街だったためにさほど不便は感じなかったでしょうが、次第に工場が撤退し、住宅が増えて来たり、スポーツ会館が出来た頃には、さぞかし・・・と思います。
そこで、「地域社会に快適な生活と人と文化の交流を提供できるランドマークとしての意義が深い橋」として計画されそうです。完成は1994(平成6)年。橋の真ん中に四つ葉のクローバーが描かれて、「クローバー」の名称にふさわしい感じです。
小名木川は、1590年頃、徳川家康が小名木四郎兵衛に命令し、開削させた運河です。関ヶ原の戦いの10年ほど前、まだ江戸幕府が開かれる前になります。「小名木川」と名付けられました。
千葉県行徳で作られた塩や、近郊の農村で採れた野菜、東北地方の米などを江戸に運ぶために大いに利用されました。小名木川と旧中川、新川の合流地点には、中川船番所が置かれていました。
近年では、水陸両用の貨物駅「小名木川駅」が出来て、川の行き来も激しくなりましたが、それもすでに使命を終えました。
現在は、西の扇橋閘門と東の荒川ロックゲートによって、隅田川と旧中川を経由しての荒川への通行が可能になっています。
橋の見晴らしは大変すばらしく、南北は親水公園ですが、東も西も広い水路になっています。この日も、大型ボートが西に向かって航行していました。市街地にあって、水を満々とたたえて流れているようです。江東0㍍地帯、かつての水害の大きさを振りかえると嘘のような穏やかな流れです。川と人との関わりの歴史を大事にしながら、この豊かな自然環境を大事にしたいものです。
写真は、クローバー橋から西側(隅田川)を望んだもの。
なお、「江東区スポーツ会館」は耐震補強工事のために、平成21年7月1日(水)より平成22年2月末日(予定)まで、全館休館となるそうです。