都内には「富士塚」がかなりあります。下町では、江東区や江戸川区に多くあります。意外にも、墨田区には残されていないようです。
富士山信仰。それぞれの地域ごとに「富士講」をつくり、先達に引き連れられ、実際に富士山登山をすることもあります。
また、地域の神社の一角に、富士山を模して築山したものに登って、富士山信仰のよすがにします。出来る限り富士山にある溶岩や岩・石などを敷き詰めたり、置いたりします。
また、砂走りや大沢崩れなどを模し、お中道巡り、1合目から頂上までを順路のようにつくります。それぞれの講ごとに「碑」を建てたりします。
不思議と猿の親子の石像があるのも特徴です。富士山と猿との関係はどういうことなのでしょうか。現在の富士山には、野生の猿は生息していないはずですが。「庚申」信仰と関係があるのかもしれません。
小さな山を築いてそれらを置くのですから、実に込み入っています。それはそれでおもしろく、風情があります。
写真は、亀戸駅から東南、「浅間神社」のもの。元の場所から移転し、きれいな神社の裏手にあります。やはり、猿の石像がありました。
かつてはほこらがあった頂上付近は、すでになくなっていて、小さな広場になって、記念碑がはめ込まれています。しかし、ここも頂上以外では、他と同じように富士塚としての体裁を整えています。
富士山信仰。それぞれの地域ごとに「富士講」をつくり、先達に引き連れられ、実際に富士山登山をすることもあります。
また、地域の神社の一角に、富士山を模して築山したものに登って、富士山信仰のよすがにします。出来る限り富士山にある溶岩や岩・石などを敷き詰めたり、置いたりします。
また、砂走りや大沢崩れなどを模し、お中道巡り、1合目から頂上までを順路のようにつくります。それぞれの講ごとに「碑」を建てたりします。
不思議と猿の親子の石像があるのも特徴です。富士山と猿との関係はどういうことなのでしょうか。現在の富士山には、野生の猿は生息していないはずですが。「庚申」信仰と関係があるのかもしれません。
小さな山を築いてそれらを置くのですから、実に込み入っています。それはそれでおもしろく、風情があります。
写真は、亀戸駅から東南、「浅間神社」のもの。元の場所から移転し、きれいな神社の裏手にあります。やはり、猿の石像がありました。
かつてはほこらがあった頂上付近は、すでになくなっていて、小さな広場になって、記念碑がはめ込まれています。しかし、ここも頂上以外では、他と同じように富士塚としての体裁を整えています。