おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

89 亀戸水神・水神森跡

2009-06-16 21:23:22 | 歴史・痕跡
 東武亀戸線。亀戸を出て最初の駅が「亀戸水神」。改札を出て、少し西に進むと、三叉路の道の三角形のところにこじんまりした神社。これが、駅名の由来の「亀戸水神社」。近所には、神社の名前のついた通りや小学校があったりと、大変に由緒ある神社のよう。昔はもっと大きな構えだったとのこと。社殿は東京大空襲で焼失した。1960(昭和35)年に、現在の地に再建された。(ちなみに、当時の写真では、一帯は全くの焼け野原。現在の水神小学校は、跡形もなく焼け落ちている。)
 もともとは、どのあたりにあったのだろうか? 亀戸水神駅は開通当初はもっと亀戸寄りだったことから、もう少し南にあったと思われる。しかし、航空写真からでも、場所ははっきりしない。
 かつて、このあたりは荒川や利根川の河口近くの低湿地帯だった。約500年前(室町時代後期)に新田を開墾する際、水害からこの地を守るため、堤防の突端に、まわりの地面より高く石垣をつくり、石祠が祭られた。
 祭神は弥都波能売神(ミズハノメノカミ)という水を司る女神。
 この神社にちなんで「水神森」がある。かつては都電の停留所名、現在はJR亀戸駅の東口「亀戸サンストリート」前のバス停にその名を残している。「水神森」の碑が亀戸水神社にある。この辺り一帯には大きな森が広がっていたと思われる。
 ここから少し西北に当たる地には隅田川神社があり、水神様として信仰されている。この辺りは、江戸以前には河口付近の湿地帯。そこでの田畑開墾の困難と信仰が偲ばれる。また、当時の海岸線が断片的に浮かび上がってくるようだ(白髭・向島・押上・亀戸?)。
 写真は、「水神森」という名称の信号機から南方向を撮ったもの。中央は、かつての精工舎の亀戸工場の跡地。右側は洲崎に向かう都電の跡地で、現在は緑道公園に。この「水神森」で、小松川行きと洲崎行きの都電(その前身は城東電車)が分岐していた。
コメント
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