おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

91 綾瀬橋と元綾瀬川

2009-06-18 19:11:03 | 歴史・痕跡
綾瀬橋 (あやせばし) 全長61.5m・幅20.5m。1961(昭和36)年3月架橋。
 墨田区から足立区に通じる「墨堤通り」に架かる橋。墨田区墨田五丁目と足立区千住曙町の区界にあります。橋の上には、高速道路が通っています。橋の下の流れは、旧綾瀬川。隅田川に合流していた綾瀬川が荒川放水路(現荒川)によって分断されたものです。今の綾瀬川は、荒川に沿って南下し、中川と合流、さらに南下して河口付近で荒川と合流します。
 荒川と接するところに水位を調節する「隅田水門」があります。小学生のころ、京成関屋駅で下車して、この辺りで水上バスに乗って隅田川を下るという「社会科見学」がありました。荒川と隅田川がつながっていたことをその時知りました。
 これから少し南を鐘ヶ淵と呼んでいます。旧綾瀬川と隅田川との合流付近は直角のかね尺のように曲がっていて、それでカネガフチと名がついたようです。
 かつては、綾瀬川と隅田川の合流付近は、川幅も広くかなりの水量があったようです。橋も今よりももっと隅田川寄りにありました。この辺りの様子はずいぶんと変化しています。
 東武鉄道では、近所にある「鐘ヶ淵」駅の由来を、次のように記しています。
 元和6年(1620)、橋場、石浜の地にあった寺院が亀戸村に移転しました。そのときに寺の鐘を船に乗せて隅田川を渡ろうとして誤って鐘を水中に落とし、引き上げる事ができなくなりました、以後、鐘の沈んだあたりを鐘ケ淵というようになったそうです。
 
 たしかに、こうしたたぐいの伝承は多いようです。
  墨堤通りをはさんでこの一帯は、鐘ヶ淵紡績の一大拠点でしたが、今は綾瀬橋のたもとに「鐘紡物流」という会社があるのみです。
 綾瀬川は、500mほど離れた荒川と通じていて、相互に船の航行もできるようになっています。首都高向島線は、この綾瀬川に沿って進み、荒川を越えていきます。
 写真は、綾瀬橋から隅田川との合流点を望んだもの。右手に見えるのは、「伊沢造船」という造船所。創業は1877(明治10)年。古い歴史をもつ造船所です。左手奥に見えるのが、「水神大橋」。正面は対岸の荒川区南千住の街並み。かつて、JRの貨物駅「隅田川駅」への水路があった地域です。南千住も大きく変貌を遂げています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする