小名木川に架かる新扇橋の南側の橋のたもとに、黒の御影石で作られた「民営機械製粉業発祥の地」という碑が建っています。
製粉工場は、この記念碑の西側一帯にありましたが、現在は団地になっています。2001(平成13)年に江東区の史跡に指定され, 日本製粉(株)によって 記念碑が建てられました。
「民営機械製粉業発祥の地」(碑文)
明治12(1879)年、 明治を代表する実業家雨宮敬次郎は、水運の便のよい小名木川に着目して、この地にそれまでの水車動力に代わる蒸気機関を動力源とした、民営では最初の近代機械製粉所「泰晴社(たいせいしゃ)」を創設しました。
欧米を視察して製粉事業の将来性を確信した雨宮は、蒸気機関のほか石臼製粉器、篩器(ふるいき)などの製粉装置を米国から輸入して製粉事業の経営に成功をおさめました。
雨宮の製粉事業は東京製粉合資会社に受け継がれ、明治29年に日本製粉株式会社に改組されました。また、小名木川沿岸には明治30年台に製粉会社が次々と設立され、全国でも屈指の小麦粉生産高を誇るようになりました。こうして泰晴社は、小名木川沿岸にさまざまな近代的工場が進出してくるさきがけともなったのです。
なお、明治初期の機械製粉所には、開拓使により札幌に設立された磨粉機械所(明治9年)、大蔵省による浅草蔵前の製粉所(同12年) の二つがありましたが、 これらの官営製粉所はともに日本製粉株式会社がその事業を継承しました。
江東区
今でも操業している製粉会社が、この場所の近くにあります。写真にある「東京製粉株式会社」です。小名木川を利用しての船舶での輸送はありませんが、大型トラックが出入りする大きな工場です。この地での長い伝統を誇る、地場産業を受け継いで、頑張っているようすでした。
製粉工場は、この記念碑の西側一帯にありましたが、現在は団地になっています。2001(平成13)年に江東区の史跡に指定され, 日本製粉(株)によって 記念碑が建てられました。
「民営機械製粉業発祥の地」(碑文)
明治12(1879)年、 明治を代表する実業家雨宮敬次郎は、水運の便のよい小名木川に着目して、この地にそれまでの水車動力に代わる蒸気機関を動力源とした、民営では最初の近代機械製粉所「泰晴社(たいせいしゃ)」を創設しました。
欧米を視察して製粉事業の将来性を確信した雨宮は、蒸気機関のほか石臼製粉器、篩器(ふるいき)などの製粉装置を米国から輸入して製粉事業の経営に成功をおさめました。
雨宮の製粉事業は東京製粉合資会社に受け継がれ、明治29年に日本製粉株式会社に改組されました。また、小名木川沿岸には明治30年台に製粉会社が次々と設立され、全国でも屈指の小麦粉生産高を誇るようになりました。こうして泰晴社は、小名木川沿岸にさまざまな近代的工場が進出してくるさきがけともなったのです。
なお、明治初期の機械製粉所には、開拓使により札幌に設立された磨粉機械所(明治9年)、大蔵省による浅草蔵前の製粉所(同12年) の二つがありましたが、 これらの官営製粉所はともに日本製粉株式会社がその事業を継承しました。
江東区
今でも操業している製粉会社が、この場所の近くにあります。写真にある「東京製粉株式会社」です。小名木川を利用しての船舶での輸送はありませんが、大型トラックが出入りする大きな工場です。この地での長い伝統を誇る、地場産業を受け継いで、頑張っているようすでした。