おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

82 葛西・旧海岸道路

2009-06-09 21:16:07 | 歴史・痕跡
 まもなく関東地方も梅雨入り。その前にちょっと遠出を。そこで、環七を南下して都立葛西南高校を右折、目的は、葛西海岸堤防道路。
 この堤防は、キティ台風の被害を受けて、水害(高潮被害)防止のために、1951(昭和26)年に着工、1957(昭和32)年に完成しました。延長4.4㌔、道路からの高さ4~5㍍、幅5.5㍍で、昭和38年の航空写真でも、はっきりと海岸沿いの道路として写っています。もちろん、堤防の南西側は、荒川放水路、東京湾です。
 その後、東京湾最北東部の埋め立て、干拓、宅地化もどんどん進み、1972(昭和47)年からは、堤防の外側の埋め立てが始まり、海岸水門以外は、3㌔分は撤去されを撤去しました。
 写真が、その「海岸水門」。左近川の河口にあったもので、かつては、ここから西が海でした。保存のために残してあるのでしょうか。赤いペンキも塗られ、しっかりした建築物です。
 道は、曲がりながら西に向かい、それから北上します。
 周囲は、「新左近川親水公園」。高速道路付近は、入り江風になっていて、水辺も広々として、木々に囲まれた、落ち着いた雰囲気の公園。
 そして、道路は「新長島川親水公園」へ。この道筋が「旧葛西海岸堤防道路」です。
 ここまで来ると、周囲は、学校や住宅地が広がっています。埋め立てをした際、海岸堤防を残して、ニュータウンが出来ました。
 西葛西駅の南には、江戸川球場があります。その西側の道路が、海岸道路の部分となります。1984(昭和59)年に完成。ここでは、夏の甲子園予選東東京大会、東京都東部の高校野球各種大会など、主としてアマチュア野球の試合に頻繁に利用されています。以前は、プロ野球のイースタン・リーグ公式戦(主にヤクルトスワローズ主催)も開催されていたそうです。23区内で都と区が管理する野球場で、硬式野球が可能な貴重な球場です。
 この辺りまでが、海岸堤防の面影を残す風景です。もうちょっと行くと、西側は荒川になります。
 〔余談〕旧江戸川河口の大三角州
 この近辺、もう少し東側。昭和22年の航空写真を眺めていると、東南の海上に不気味な地形が目に入りました。昭和38年のものでもそうですが、何か肝臓か心臓の血管が浮き出たような・・・。
 これが、旧江戸川(東京都と千葉県の境)の河口に広がる、大三角州。この規模は、日本最大級のすごさだったようです。現在、舞浜の「東京ディズニーランド」の北側付近に当たります。
コメント
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