おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

90 深川芭蕉庵跡

2009-06-17 06:31:35 | 歴史・痕跡
 深川・芭蕉庵は、小名木川に架かる「万年橋」付近にあったらしい。
 弟子の杉山杉風(さんぷう)の土地で、生簀があり、その番小屋に芭蕉を住まわせたものといわれています。
 芭蕉は、1680(延宝8)年深川の草庵に住みました。そしてこの庵を拠点に新しい俳諧活動を展開し、多くの名句(「古池や・・・」など)や「奥の細道」等の紀行文を残しています。
 この草庵は門人から送られた芭蕉の株が生い茂ったところから、「芭蕉庵」と呼ばれました。
 芭蕉没後、この付近一帯は、武家屋敷となり、1862(文久2)年の絵図によると、尼崎藩の松平紀伊守の下屋敷となっています。この絵図には、庭の中に芭蕉庵の古跡があったと記載されています。
 さらに、明治初年には長州藩の屋敷となり、間もなく民有地となりました。
 こうした土地所有者の変更によって芭蕉庵跡は消滅し、現在でもその正確な位置はわかっていません。
 1917(大正6)年の大津波の後、江東区常盤1丁目から「芭蕉遺愛の石の蛙」(伝)が出土し、大正10年、東京府はこの地を「芭蕉翁古池の跡」と指定しました。現在、「芭蕉稲荷神社」として存在しています。こじんまりとした社で、「芭蕉庵跡」の碑があります。
 江東区は芭蕉ゆかりの地に、松尾芭蕉の業績を顕彰するため、1981(昭和56)年に「芭蕉記念館」、1995(平成7)年に隅田川と小名木川に隣接する地に同分館を開館しました。
 写真は、小名木川と隅田川の合流点近くの「芭蕉記念館分館」(正木稲荷裏)の屋上にある芭蕉のブロンズ像と隅田川下流の方向を撮ったもの。周囲には貧相な芭蕉の木が植わっている。景色はいいが、この像にはどうも違和感が・・・。
 たびたびの水害に悩まされた芭蕉。低湿地帯にあったとは思えない、高い位置から隅田川を見下ろしている芭蕉像。
 なお、写真中央奥、隅田川に架かる橋は、清洲橋。
コメント
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