おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

93 埋もれる川・竪川

2009-06-20 19:04:14 | つぶやき
 かつて、東京の隅田川以東の下町は、縦横に川が流れている、まさに「水の都」でした。これらの河川は、物資の輸送などで大活躍し、また人々の憩いの場所として、人々の暮らしに欠かせない、貴重な存在でした。
 しかし、一方で、災害時にはかえって人の行き来を妨げ、多くの人命を奪い、苦しめた大惨事を引き起こす原因にもなりました。関東大震災と東京大空襲の時。この二つで、二度も下町は壊滅的状態になってしまいました。
 さらには、もともと0㍍地帯である上に、毎年のように、台風の襲来や豪雨のたびに河川が氾濫し、やはり人々の生活・生命を脅かしました。一方で、戦後の復興期以来、経済成長の中で、工場排水、生活排水の垂れ流しなどで川は汚れきって、かえって無用の長物・邪魔なもののようにも扱われ始めました。
 高速道路も、一般道や住宅地を通すよりも、川の上や川をつぶして造ることになりました。
 ますます川の存在が人々の意識からは遠ざかっていき、川と人々の生活・意識が離れていった時期がありました。クサイ・キタナイ・キケン・・・。
 しかし、昭和40年代後半の頃から、防災と公害防止の施策が大規模に進められるようになり、下水道の完備、水質改善等の取り組みによって、再び身近な河川のあり方に人々の関心も高まってくることに。
 その時には、すでに物資の運送等での川の役割は終えていました。「水門」が水害防止のためにつくられ、また、新たな川の利用法として「親水公園」があちこちでつくられました。これによって、水害の恐れもなくなり、人々の安心した生活や緑と水に親しむゆとりが生まれました。大変けっこうなことです。
 反面、「流れる」川としての機能をもっている川がなくなりました。現在、はじめから終わりまで流路が残って水が流れているのは、おそらく「北十間川」のみではないでしょうか。他は、大横川、横十間川、小名木川・・・、どこかで寸断されています。
 写真は、その一つ、竪川の様子です。頭上を「高速道路小松川線」が通っています。写真の奥は隅田川との分岐点ですが、水面が残っているのは、この辺りのみです。東(写真と反対側)に行くと「親水公園」と化しています。この辺りも早晩、開発されてしまうのでしょうか。
 長い間の人と川との関わり、災害防止の視点も重要ですが、今一度、東に西に、南に北に、自然に流れる川を望むことは、もう無理なのでしょうか。
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