おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

安部公房「友達」「未必の故意」

2012-10-20 16:48:49 | 読書無限
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 大変不謹慎ですが、ずいぶん昔観た(目を通した)安部公房の『友達』(昭和42年作)という戯曲を即座に連想してしまいました。突然独身の男の元に八人家族がなだれ込んでくる。男とその連中の家族関係、人間関係もまったくない中で、居座り(通報を受けてやってきた管理人や警官にも愛想よく振る舞い、事件性をまったく感じさせず、むしろ巻き込んで)、次第に居場所のみならず、男の心身を占有し、ついには檻(格子状の靴箱だった)に入れ、殺してしまう。八人の間に起こる対立も、一人の敵を追い込むことによって家族間の「絆」を作り出していく。そして、死んだ男の部屋から笑いを残して、一家は次の犠牲者を求めて出て行く(たぶん)。
 都会の「孤独」に対置される「連帯」とかいうものの、裏に秘めたおぞましさ・不条理を描き出していました。
 もちろん、次元も違うし、今回の猟奇的な犯罪行為を、小説的世界という風に見立てるつもりはありません。しかし、例えば、かつてあった「連合赤軍リンチ事件」になぞらえてこの「事件」を論評する、というより、安部公房の作品の持つある種の先見性をふと思いました。
 そういえば、やはり安部さんの作品で『未必の故意』という戯曲。これ以上やったら相手が死んでしまうことが予見できるのに、集団で暴力行為を行って人を殺めてしまう(自分が他の皆と一緒に手を下さなければ、今度は自分がやられる)という芝居もありました。
 「事実は小説よりも奇なり」では済まされない問題ですが、ますます不可解な事件になっています。
 マスコミも周辺記事ばかりで、あまり本質に迫っていない感じが(最初の頃の及び腰スタイルは少し改善されていますが)します。
コメント
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