おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

GEIDAI TAITO SUMiDA Sightseeing Art Project

2012-10-27 16:25:01 | 隅田川

 「GTS観光アートプロジェクト2012」が10月10日から11月11日まで開催されています。そこで、野外作品を駆け足でぐるっと回ってきました。スカイツリー・ビューポイント作品だそうです。
  墨田区区役所前ふれあい広場。「スカルプチャーツリー」。スカイツリーの形(下部)。木彫りの十二支が取り付けられています。
中からのスカイツリー。窓越しの感覚で見るかたち。
飛行船がオブジェの上を通過。
スカイツリーを双眼鏡で。
GTSBench。墨田区役所前ふれあい広場にて。
北十間川に架かる「枕橋」際。「ゆるぎツリー」。スカイツリーがさざ波を浮かべる水面に映るイメージ。
左が東武線の高架。
隅田公園(台東区・吾妻橋西詰そば)。「グリーンプラネット」。お椀型の作品。穴からのぞくと、花壇の向こうに隅田川対岸の景色。
秋の陽光が漏れてきました。
隅田公園(台東区・言問橋西詰南)。「LOOK」。ベンチから隅田川をはさんでスカイツリーが目の前に。
ベンチの間から。
隅田公園(台東区・言問橋西詰北)。「スカイネスト(空の巣)」。第一展望台の一部をトレースした三日月型の鳥の巣。
中には大小様々な鳥たち。その向こうにスカイツリー。
 隅田公園散策のついでに。
「山の宿(しゅく)の渡し」跡の碑。
「山の宿の渡し」
 吾妻橋の上流、東武鉄道・隅田川橋梁の付近にあった渡し。渡しのあった花川戸河岸付近は「山の宿町」と呼ばれ、その町名をとって命名されたようです。また、「花川戸の渡し」と称されたり、東岸(対岸)の船着場が北十間川・枕橋のたもとにあったので「枕橋の渡し」とも。渡船創設年代は不明ですが、江戸中期には運行され、浅草寺への参拝客や墨堤の花見客などで賑わいました。
 
 江戸時代。江戸市中の防衛上から、当初架けられた橋は日光街道・「千住大橋」。そのため、隅田川の渡しはたくさんありました。以下、ご紹介。

・汐入の渡し
 現在の千住汐入大橋付近にあった。1890年(明治23年)から1966年(昭和41年)まで汐入(現在の荒川区南千住八丁目)と千住曙町の鐘淵紡績会社を結び、女工たちの通勤用として運行されていた。それ以前からも渡しはあった、とのことらしい。隅田川で最後まで運行されていた渡し。

・水神の渡し
 現在の水神大橋の100mほど下流にあった真崎稲荷と隅田川神社を結んでいた渡し。
・橋場の渡し
 「白鬚の渡し」とも称される。記録に残る隅田川の渡しとしては最も古い渡し。現在の白鬚橋付近にあった。律令時代より制定があり、承和2年(835年)の太政官符に「武蔵国と下総国の国境の住田河(隅田川)には現在4艘の渡し舟がある。岸は崖で広く、橋が造れないので2艘から増船した」と書かれたものが残っており、この「住田の渡し」とはこの渡しと想定されている。
 奥州、総州への古道があり、伊勢物語で主人公が渡ったのもこの渡しとされている。また、源頼朝が挙兵してこの地に入る際に、歴史上隅田川に最初に架橋した「船橋」もこの場所とされ、「橋場」という名が残ったとも伝えられている。
 橋場はその歴史的な土地柄から江戸時代から風流な場所とされ、大名や豪商の別荘が隅田川河岸に並んでいた。そのため有名な料亭なども多く華族や文人などが出入りしていた。明治期に入ってからも屋敷が建ち並んでおり、とりわけ著名な三条実美の別荘である「對鴎荘」が橋場の渡しの西岸にあった。
・今戸の渡し
 「寺島の渡し」とも称される。現在の桜橋の上流付近にあった渡し。橋場に対して、新しく作られたということで「今」戸と呼ばれたという。
・竹屋の渡し
 「向島の渡し」とも称される。待乳山聖天のふもとにあったことから「待乳(まつち)の渡し」とも。「竹屋」の名は付近にあった茶屋の名に由来する。現在の言問橋のやや上流にあり、山谷堀から 向島・三囲(みめぐり)神社を結んでいた。付近は桜の名所であり、花見の時期にはたいへん賑わったという。文政年間(1818年 - )頃には運行されており、1933年(昭和8年)の言問橋架橋前後に廃された。
・竹町(たけちょう)の渡し
 「駒形の渡し」とも称される。現在の吾妻橋と駒形橋のほぼ中間の場所にあった渡しで、江戸期に吾妻橋が架橋されたことによって利用者は減ったものの、1876年(明治9年)まで運行されていた記録が残っている。
・御厩(おうまや)の渡し
 「御厩河岸の渡し」とも称され、現在の厩橋付近にあった。川岸に江戸幕府の「浅草御米蔵」があり、その北側に付随施設の厩があったのでこの名がついた。元禄3年(1690年)に渡しとして定められ、渡し船8艘、船頭14人、番人が4人がいたという記録が残る。渡賃は1人2文で、武士は無料。1874年(明治7年)の厩橋架橋に伴い廃された。
 
 この他にも、上流・下流にはたくさんの「渡し」が存在していました。
 閑話休題。

花川戸公園。「石の舟」。台東区立福井中学校(廃校)の礎石を基盤としてその上に大きな玉石を設置。その石にブロンズの人や動物の頭部(顔)が埋め込まれています。
「石の舟」の向こうにスカイツリー。
花川戸公園。アート&サインベンチ「ササエル」のうちの一つ。
源森橋。「ササエル」のもう一つ。夜景。
小梅児童遊園。「おぼろけ」。スカイツリーの足下の風景をぼやかすことでスカイツリーを浮かび上がる、というコンセプト。
業平橋下・大横川親水公園。「Reflectscape」。スカイツリーの方向を見上げるスタイルの反対バージョン。背にして自分とスカイツリーを一体化させる企み。ここはなかなかの撮影ポイントになっています。


コメント
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