丸谷才一さんがなくなりました。87歳。ここでも丸谷さんの作品(といっても、随想ばかりですが)をいくつか取り上げています。追悼の意味を込めて。再録。

『人魚はア・カペラで歌ふ』文藝春秋(2012.3.4投稿)
これほど己の嗜好に合はせ、ものせる方は稀有な存在です。本文中にもあるやうに、その基本は、人間的関心がなせる技(術?)。古今東西、その(人間的)関心の広がりと深さはとどまるところを知らず、ただただあきれるばかり。あきれるといつても飽きがくるといふのではなくて、ますます興味関心を持たせられるほどといふこと。
事物へのこだはり、そこに薀蓄を傾ける情熱と執念にああ脱帽、といふ感じですか。
取り上げる題材は、まさに「雑学」。野坂昭如さんが昨日だかに、朝日新聞に投稿してゐて久々に読みましたが、病いにある方とは思へない、鋭い舌鋒でした。野坂さんにおほくを望めない今、丸谷才一さんが「雑学」にプラスして「ゴシッ(ここはツにはならないのです)プ」「冗談」の3点セットで自らのたまふところの「雑文」を、失礼、随想を書かせたら第一人者でせう。ただの教養主義に陥らず、きちんとした文明批評になつてゐるのですから。
人間、いくつになつても貪欲なほどの知識欲、好奇心が「生きる」ことには、一番必要なことでもあるでせうから。
この「随想集」、2009年4月号から2011年9月号まで「オール読物」に掲載されたもの。この間に政権交代、東日本大震災といふ歴史的事件に遭遇したにもかかはらず、一言も触れずひたすら「避けて通つて」いるふりをしてゐます。
「帝国」の行方とか「歴史の書き方」とか「小股の切れ上がつたいい女」とかの考証にひたすら「うつつを抜かし」てゐることに読者はどう感じるか、それを百も承知の上で、丸谷さんはお書きになつてゐるのです。
目をとほしたところ、二箇所のみ。「われわれは今、日本国が前代未聞の変なことになつて、自民党も駄目なら民主党もいけない。大国難に際会してると感じ、古風なメシア信仰にすがつてゐるのである。何だかかはいさうな日本人」(P251)「アニメとカラオケとパチンコしか文化がないのに、もうすぐ亡びさうな国もある」(P357)。
ぽんと投げ込まれたこの表現をどう読み解くか、読者に突きつけられてゐます。もちろん、一笑に付すもよしですが、はたして・・・。
ところで、この方の小説で「裏声で歌へ君が代」といふ台湾独立運動をベースにしたものがあります。発端が、たしか営団地下鉄(東京メトロ)の新御茶ノ水駅、あの長く深いエスカレータを彷彿させる場面での邂逅だつたのが、印象的でした(つまらない感想ですが)。
実は、裏声それ自身は、なかなかテクニックの必要な、地声では出しにくい高音部の発声方法らしい。大阪では、教員たちは、起立するだけでなく、口を動かして歌つているかどうかが校長・教頭によつてチェックされたさうです。
どうせならとてつもない「裏声」で「君が代」を歌ふといふのは、いかがでせう。「たつた一人の反乱」であつても起こす。地声ではないことに意味がありますから。亡くなつた忌野清志郎さんにすばらしい変調・君が代がありました。さうなると、今度は、ピアノ(大方は、ピアノだと思ふ)伴奏にきちんと合はせて唱和しろ!といふ職務命令が出されることになるでせう。
もうぢき90歳に手が届きさうなこの方。生涯、文人としての気概を持つて現役宣言、といふ趣の書でした。

『人間的なアルファベット』講談社(2010.6.8投稿)
ふう!やっと「読書100」。本を読むということは、なかなか進まないものですね。もちろん、他にも何冊か読んでいますし、ここに載せるものも少しは残っていますが、やっと到達した、記念すべき100冊目はこの書に決定。お年を召しても、いまだにどん欲な読書三昧、文章を「ものす」、ペダンティックな丸谷さんの心意気に、心からの敬意を表して。
まさに「人間」そのものの発露である色好みエッセンス。柔らかくエッチな(ホントは堅くなければ役には立たない)話をそれを柔らかくオブラートに包むことで、かえって芯をときめかす、その手練手管でまたまた煙に巻く・・・、丸谷ワールド(悪~度)です。
和田誠さん。この方は、先日惜しくもお亡くなりになった井上ひさしさんの戯曲本の装幀をよくなされたことで、小生には親しみ深い方。今回も洒脱な味わい深いものを「ものし」た。実に古今東西、蘊蓄の傾け方が並ではない。どうやってこれだけの書物を繙くことが出来るのか? 普通ならこの年、ご自分の眼で活字を読み通すことは至難の業になってもおかしくないのに・・・。
こうしてまた新たな、ためになる?知識を得ることになったのですが・・・。年老いても日々に新た!これがまた残り少ない人生を楽しくさせる。中身は談論風発、つい夜中過ぎまで一気に読み通してしまった、おかげで興奮したまま、なかなか眠れないのだ。
こういう軽い(実は深い)口語体には、旧仮名遣いはちと合わなかった! でも丸谷さんの真骨頂がそれにあるのだから仕方がないか。

『ゴシップ的日本語論』文藝春秋(2005.5.30投稿)
「ゴシップ的日本語論」(丸谷才一)より一節を紹介します。この中で、丸谷氏は鳥居民氏の著書を引用されながら、昭和天皇の言語能力について書かれています。
「昭和史は、昭和天皇の言語能力といふところから攻めてゆけば、かなりよくわかつてくる。そのことをどうしてしないのか。一国の基本のところにあるものは言語問題なんです。
たいていの国の元首とか総理大臣は、信頼する将官や政治家、学者を招いて食事を共にする習慣があるものである。つまり、社交をすることによって情報を得たり教訓を得たりする。文明国ならば、たいていの国の元首はみんなやつてゐることです。
ところが昭和天皇の場合、すくなくとも戦前がさういふ習慣はまつたくなかつた。他人との親密なコミュニケイションといふ経験は一度もなかつた。これはまあ、無理もないといへば無理もないのでして、天皇家にはかういふふうに首相とか参謀総長とかに親しく語りかけて詳しく論じ合ふやうな伝統はまつたくないわけですね。
天皇の言語生活の伝統はどういふものであつたかといふと、宣命といふ和文体の勅語を口で言ふ。口で言つたかどうかもだいたい怪しいのであつて、これはみんな女房たちが書いたのぢゃないかといふ説もあるくらゐです。それから和歌を詠む。この二つが天皇の言語生活であつた。
とすれば昭和天皇は、あの家柄において突如として政治向きの言語生活を要求された非常にかはいさうな方であった。
昭和天皇が皇太子であつた時代の教育がいかに貧弱なものであり、欠陥の多いものであつたかといふことからいささか思ひ出されることがあります。昭和二十年八月十五日の例の玉音放送ですね。あの声の出し方が変だつたでせう。あれは昭和史の本には誰もが書いてゐていろんな形容が使つてあります…、なぜあんな異様な声の出し方をするのかといふことは、わたしは好意的に、この人はマイクを使つたことがないからだなあといふやうなことを考えてをりました。日本人は誰でもマイクを使つたことはないのだから、かういふふうになるのかなあなんて思つた。かなり好意的でしたねえ(笑)。
そしてすぐ戦後のころ日本中を巡幸なすつた。そのときに、何を言はれても天皇は、『ア、ソウ』としか答へなかつた。なかでも有名なのは、九州にいらしたときに、『あれが阿蘇山でございます』と県知事が言つたとき、『ア、ソウ』と言つたといふ話がある(笑)。」
丸谷氏に言わせれば、昭和天皇の孤立した生き方とコミュニケイションの不足による言語能力の低さのせいで、情報が手に入らなかった上に、政府と軍との意見が分かれたときに、口を出すことを回避する方になってしまった。そこに、日本の敗因(敗因のなかには戦争を起こしたことも含まれるが)の重大な一つとして、昭和天皇の言語能力の低さがあげられるとしています。丸谷氏は、これは昭和天皇個人を攻めることはできない、明治憲法をはじめ一国の言語がシステム的におかしかったとしています。
他にも評論家・小林秀雄の文章を何だか分からない明治憲法みたいだとこき下ろしたり、実に痛快な内容になっています。
少し前の作品ですが、携帯電話インターネット大流行の今、ますます軽くなる言語表現を改めて考えてみるのもいいのではないでしょうか。

『人魚はア・カペラで歌ふ』文藝春秋(2012.3.4投稿)
これほど己の嗜好に合はせ、ものせる方は稀有な存在です。本文中にもあるやうに、その基本は、人間的関心がなせる技(術?)。古今東西、その(人間的)関心の広がりと深さはとどまるところを知らず、ただただあきれるばかり。あきれるといつても飽きがくるといふのではなくて、ますます興味関心を持たせられるほどといふこと。
事物へのこだはり、そこに薀蓄を傾ける情熱と執念にああ脱帽、といふ感じですか。
取り上げる題材は、まさに「雑学」。野坂昭如さんが昨日だかに、朝日新聞に投稿してゐて久々に読みましたが、病いにある方とは思へない、鋭い舌鋒でした。野坂さんにおほくを望めない今、丸谷才一さんが「雑学」にプラスして「ゴシッ(ここはツにはならないのです)プ」「冗談」の3点セットで自らのたまふところの「雑文」を、失礼、随想を書かせたら第一人者でせう。ただの教養主義に陥らず、きちんとした文明批評になつてゐるのですから。
人間、いくつになつても貪欲なほどの知識欲、好奇心が「生きる」ことには、一番必要なことでもあるでせうから。
この「随想集」、2009年4月号から2011年9月号まで「オール読物」に掲載されたもの。この間に政権交代、東日本大震災といふ歴史的事件に遭遇したにもかかはらず、一言も触れずひたすら「避けて通つて」いるふりをしてゐます。
「帝国」の行方とか「歴史の書き方」とか「小股の切れ上がつたいい女」とかの考証にひたすら「うつつを抜かし」てゐることに読者はどう感じるか、それを百も承知の上で、丸谷さんはお書きになつてゐるのです。
目をとほしたところ、二箇所のみ。「われわれは今、日本国が前代未聞の変なことになつて、自民党も駄目なら民主党もいけない。大国難に際会してると感じ、古風なメシア信仰にすがつてゐるのである。何だかかはいさうな日本人」(P251)「アニメとカラオケとパチンコしか文化がないのに、もうすぐ亡びさうな国もある」(P357)。
ぽんと投げ込まれたこの表現をどう読み解くか、読者に突きつけられてゐます。もちろん、一笑に付すもよしですが、はたして・・・。
ところで、この方の小説で「裏声で歌へ君が代」といふ台湾独立運動をベースにしたものがあります。発端が、たしか営団地下鉄(東京メトロ)の新御茶ノ水駅、あの長く深いエスカレータを彷彿させる場面での邂逅だつたのが、印象的でした(つまらない感想ですが)。
実は、裏声それ自身は、なかなかテクニックの必要な、地声では出しにくい高音部の発声方法らしい。大阪では、教員たちは、起立するだけでなく、口を動かして歌つているかどうかが校長・教頭によつてチェックされたさうです。
どうせならとてつもない「裏声」で「君が代」を歌ふといふのは、いかがでせう。「たつた一人の反乱」であつても起こす。地声ではないことに意味がありますから。亡くなつた忌野清志郎さんにすばらしい変調・君が代がありました。さうなると、今度は、ピアノ(大方は、ピアノだと思ふ)伴奏にきちんと合はせて唱和しろ!といふ職務命令が出されることになるでせう。
もうぢき90歳に手が届きさうなこの方。生涯、文人としての気概を持つて現役宣言、といふ趣の書でした。

『人間的なアルファベット』講談社(2010.6.8投稿)
ふう!やっと「読書100」。本を読むということは、なかなか進まないものですね。もちろん、他にも何冊か読んでいますし、ここに載せるものも少しは残っていますが、やっと到達した、記念すべき100冊目はこの書に決定。お年を召しても、いまだにどん欲な読書三昧、文章を「ものす」、ペダンティックな丸谷さんの心意気に、心からの敬意を表して。
まさに「人間」そのものの発露である色好みエッセンス。柔らかくエッチな(ホントは堅くなければ役には立たない)話をそれを柔らかくオブラートに包むことで、かえって芯をときめかす、その手練手管でまたまた煙に巻く・・・、丸谷ワールド(悪~度)です。
和田誠さん。この方は、先日惜しくもお亡くなりになった井上ひさしさんの戯曲本の装幀をよくなされたことで、小生には親しみ深い方。今回も洒脱な味わい深いものを「ものし」た。実に古今東西、蘊蓄の傾け方が並ではない。どうやってこれだけの書物を繙くことが出来るのか? 普通ならこの年、ご自分の眼で活字を読み通すことは至難の業になってもおかしくないのに・・・。
こうしてまた新たな、ためになる?知識を得ることになったのですが・・・。年老いても日々に新た!これがまた残り少ない人生を楽しくさせる。中身は談論風発、つい夜中過ぎまで一気に読み通してしまった、おかげで興奮したまま、なかなか眠れないのだ。
こういう軽い(実は深い)口語体には、旧仮名遣いはちと合わなかった! でも丸谷さんの真骨頂がそれにあるのだから仕方がないか。

『ゴシップ的日本語論』文藝春秋(2005.5.30投稿)
「ゴシップ的日本語論」(丸谷才一)より一節を紹介します。この中で、丸谷氏は鳥居民氏の著書を引用されながら、昭和天皇の言語能力について書かれています。
「昭和史は、昭和天皇の言語能力といふところから攻めてゆけば、かなりよくわかつてくる。そのことをどうしてしないのか。一国の基本のところにあるものは言語問題なんです。
たいていの国の元首とか総理大臣は、信頼する将官や政治家、学者を招いて食事を共にする習慣があるものである。つまり、社交をすることによって情報を得たり教訓を得たりする。文明国ならば、たいていの国の元首はみんなやつてゐることです。
ところが昭和天皇の場合、すくなくとも戦前がさういふ習慣はまつたくなかつた。他人との親密なコミュニケイションといふ経験は一度もなかつた。これはまあ、無理もないといへば無理もないのでして、天皇家にはかういふふうに首相とか参謀総長とかに親しく語りかけて詳しく論じ合ふやうな伝統はまつたくないわけですね。
天皇の言語生活の伝統はどういふものであつたかといふと、宣命といふ和文体の勅語を口で言ふ。口で言つたかどうかもだいたい怪しいのであつて、これはみんな女房たちが書いたのぢゃないかといふ説もあるくらゐです。それから和歌を詠む。この二つが天皇の言語生活であつた。
とすれば昭和天皇は、あの家柄において突如として政治向きの言語生活を要求された非常にかはいさうな方であった。
昭和天皇が皇太子であつた時代の教育がいかに貧弱なものであり、欠陥の多いものであつたかといふことからいささか思ひ出されることがあります。昭和二十年八月十五日の例の玉音放送ですね。あの声の出し方が変だつたでせう。あれは昭和史の本には誰もが書いてゐていろんな形容が使つてあります…、なぜあんな異様な声の出し方をするのかといふことは、わたしは好意的に、この人はマイクを使つたことがないからだなあといふやうなことを考えてをりました。日本人は誰でもマイクを使つたことはないのだから、かういふふうになるのかなあなんて思つた。かなり好意的でしたねえ(笑)。
そしてすぐ戦後のころ日本中を巡幸なすつた。そのときに、何を言はれても天皇は、『ア、ソウ』としか答へなかつた。なかでも有名なのは、九州にいらしたときに、『あれが阿蘇山でございます』と県知事が言つたとき、『ア、ソウ』と言つたといふ話がある(笑)。」
丸谷氏に言わせれば、昭和天皇の孤立した生き方とコミュニケイションの不足による言語能力の低さのせいで、情報が手に入らなかった上に、政府と軍との意見が分かれたときに、口を出すことを回避する方になってしまった。そこに、日本の敗因(敗因のなかには戦争を起こしたことも含まれるが)の重大な一つとして、昭和天皇の言語能力の低さがあげられるとしています。丸谷氏は、これは昭和天皇個人を攻めることはできない、明治憲法をはじめ一国の言語がシステム的におかしかったとしています。
他にも評論家・小林秀雄の文章を何だか分からない明治憲法みたいだとこき下ろしたり、実に痛快な内容になっています。
少し前の作品ですが、携帯電話インターネット大流行の今、ますます軽くなる言語表現を改めて考えてみるのもいいのではないでしょうか。