(前回の続き)
「日常しばしば、いろいろなことに使われる「安っぽい」本能的動作を、わたしはさきほど「種の存在に役立つ小さな召使たち」とよんでおいたが、これらの動作はいくつかの「大きな」衝動の意のままに使われることが多い。とりわけ、走る、飛ぶ、泳ぐなどの場所の移動をする行動、そのほかついばむ、かじる、穴を掘るなどのような行動もそうだが、これらは摂食、生殖、逃走、攻撃といったいわば「大きな」衝動のために使われることが多いのだ。こうして小さな衝動はいわば工具となって、さまざまな上位のシステム、とくにいまあげた動因のうちの「四天王」につかえるから、わたしはそれらのことを別のところで「工具活動」と呼んだこともあった。」(p127)
デイヴ・アスプリーによれば、ミトコンドリアの行動は、3つのFで始まる単語、すなわち、
① 恐怖(fear)(生存が脅かされたら、逃げるか、隠れるか、戦う)
② 食べる(feed)(餓死しないように、目の前に食べられる物があれば食べて第1のFに役立てる)
③ 具体的な単語を書くのは控えるが、種を維持増殖させるための行為
に集約されるそうである (第1のF)。
だが、コンラート・ローレンツの指摘を踏まえると、これに「攻撃」(aggression)を加えて、「四天王」=「3つのFと1つのA」を、生物の本能的行動と呼ぶのがよいと思われる。
さて、この「攻撃」をどうするかが問題である。
「昇華」、「儀式化」、「代償(行為)」などなど、呼び方はいろいろあるにせよ、要するに、(本能に根差した)攻撃衝動は、「ガス抜き」することによって緩和ないし無害化することが可能なのである。
「ガス抜き」として真っ先に思いつくのは、スポーツである。
なにしろ、「スポーツは戦争や決闘の代用品」という言葉もあるくらいだからである。
「攻撃」を儀式化したスポーツの代表例は、もちろん格闘技である。
誰しも、格闘技選手の眼を見て、殺意を感じた経験があると思う(ちなみに、格闘技系スポーツの愛好家の自殺率は、そうでない人のそれより高い。)。
日常生活において、ジャンプニーキックなどを行う必要のある人はまずいないと思うので、この種のプログラムは、「攻撃衝動のガス抜き」(マイルドな言い方をすれば「ストレス解消」)がメインの目的なのだろう。
さて、「儀式化された攻撃衝動」の極致としては、プロレスを忘れてはならない。
プロレスをするのは人間だけでなく、犬や猫もプロレスを好むことが知られている。
例えば、もちまるとはなまるの兄弟(子猫にしつこく喧嘩を売り続けられた兄猫がついにこうなっちゃいました…)はその典型例だろう。
こうして、攻撃衝動の「ガス抜き」を行っているわけである。