Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

根本原因(12)

2023年06月18日 06時30分00秒 | Weblog
 「熱狂」という新しい概念が出てきて少々面食らうが、私見では、これについても、「自己愛」(Narzissmus)、あるいは「拡張された自己」(erweiterten Ich)の原理によって説明することが出来ると考える。
 それによって、「熱狂」と「攻撃」との結び付きも分かりやすくなると思う。
(但し、以下はあくまで素人の推測に過ぎず、(社会)心理学的にこれが正しいことを保証するものではない。)
 ここでのヒントは、マイナス(「熱狂」=マニアと語源が同じ)が信奉するディオニュソスの性格である。

 「心をさらして、行動するディオニュソス。それは、噴出させ、跳躍させるその力のもっとも奥深いところまで読みとらせてくれる。沸き立つ血と鼓動するぶどう酒が一つの共通原理に合流するまさにその点にいたるまで。その共通原理とは、火山のような激しさで、一挙に、そのエネルギーを解き放つ能力を、それ自身の中から、しかもただそれのみから、引き出す生命の体液の「力」である。殺戮の狂気、跳躍するマイナス、泡立つ生ぶどう酒、血に酔った心臓ーーーこれらは一つの同じ行動様式なのである。」(p123)

 ディオニュソス(あるいはぶどう酒)が心の中に(en)とりついた(thus)状態(iasm)になると、「熱狂」(マニア、enthusiasm)が生じる。
  「熱狂」は、マイナスの「跳躍」(ペダン)や「神憑り」(エクペダン。原義は「~から遠くへ飛ぶ」)を、あるいは、心臓・性器内の体液(血・精液)の「噴出」(エクペダン)を引き起こす。
 この「ペダンーエクペダン」=「跳躍ー噴出」は、自我が外に向かって拡張(もはや「離脱」とでも言うべきか?)してゆく動きであり、「自己愛」の究極の形態と言うことが出来ると思われる。
 そして、多くの人は、「熱狂」(Enthsiasmus:エントゥジアスムス)が与えてくれる「忘我」(Ekstase:エクスターゼ。エクペダンと語幹は同じ)の力には、到底逆らうことが出来ないのである。
 問題は、コンラート・ローレンツが指摘し、かつマイナスの行動が示しているとおり、「熱狂」は、「自分の兄弟を打ち殺し、しかもこれこそまさにその最高のものに仕えるためにせざるをえないという確信をもって打ち殺すという危険を伴う」ということである(「攻撃」p358)。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする