Duel (決闘)をモデルとする格闘技系スポーツ(典型はプロレス)が、「攻撃」衝動の”ガス抜き”であることは大変分かりやすい。
また、Duel =ゼロサム型の集団的スポーツが、戦争の代用品としての側面を有しており、それゆえ「攻撃」衝動の”ガス抜き”の機能を持ちうることは、例えば、エスタディオ・ナシオナルの悲劇(【実話】観客328人が圧死…サッカー史上最悪の惨事|東京五輪予選)などの例からも分かる。
これに対し、ちょっと分かりにくいのが、「工具活動」の一つである「走る、飛ぶ、泳ぐなどの場所の移動をする行動 」が”ガス抜き”の機能を持つというところである。
動物の例だとちょっと分かりにくいが、人間がクルマで移動する場合を考えると分かりやすいと思う。
コンラート・ローレンツの主張を人間に拡張すれば、クルマを運転して移動することは、やや迂遠な方法であるにせよ、「攻撃」衝動の”ガス抜き”になり得るのである。
そう言えば、アメリカ人はプロレスが大好きなだけでなく、クルマを運転するのも大好きである。
試しに、ロサンゼルスやシカゴあたりで、週末に運転してみるとよい。
多くの人たちが、まるでカーレースに参加しているかのようにクレイジーな運転をしている。
アメリカでは、プロレスとドライブが、「攻撃」衝動の”ガス抜き”という、同じ機能を果たしているかもしれないのである。
但し、私自身は、アリゾナあたりの広大な砂漠の中を、夕暮れ時にゆっくりと運転するのが好きである。