「どこかデイヴィッド・リンチ監督の『ツイン・ピークス』を彷彿とさせる、不気味で不条理な世界は、汚職や収賄で汚れきった役人たちの心の奥底に渦巻く不安や恐れを暴く。そんな彼らの不安を象徴するかのような〈モンスター〉が登場し、さらには強気に振る舞う主人公自身の不安が露呈されると、突如、ダンサーたちは再び鎧のように重厚な衣服を身につけて、もとの笑劇の世界へと戻る。しかし、主人公が書いた手紙を盗み見た郵便局長が繰り返す「Kill the comedy」の台詞に象徴されるように、笑劇の裏にある闇に触れた観客はもはや、それを無邪気に笑い飛ばすことはできない。 」
「<未知>あるいは<脱構築>のパート」で行われるRevise (査察、改訂)の果てに出現したのは、この世のものとは思われない姿をしたモンスターだった。
このモンスターは、”統合”された登場人物たちの間を、ゆっくりと、およそ人間のものではない動きをしながら、通り抜けていく。
モンスターは、「不安」というよりは、登場人物たちの内面が集合化・一体化して出来上がった「悪」を端的に象徴するものと捉えるのが素直な解釈だろう。
これが、ずっと抑圧されてきたものの正体だったというわけである。
さて、振り返ってみると、「リヴァイザー」という作品は、振付家の創作の過程を描く「メタな」作品でもあることが分かる。
「検察官」かつ「ナレーター」は、いつの間にか振付家と融合し、登場人物(対象)を客体として扱い、コリオの”改訂”を繰り返すうちに、自分もその内部に侵入して対象(客体)と化してしまう。
この構造は見事と言うべきだろう。
ちなみに、KIDD PIVOTは既に新しい作品に取り掛かっており、10月にはバンクーバーで初演される予定とのこと。
さすがにバンクーバーまで見に行く余裕はないが、近い将来の日本公演を期待している。