Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

曲の生い立ち

2023年06月28日 06時30分00秒 | Weblog
 (ラフマニノフの交響曲1番)「初演のときにひどいことを言った人たちが、もしもそこまで言わなくて、ある程度でもあの曲の価値を認めてあげていたら、もっとこの曲の生い立ちは変わってきたと思う・・・」(7分47秒付近~)

満を持して完成した交響曲第1番、1897年3月のペテルブルクでの初演は歴史的な失敗に終わった。作品自体に未熟さはあったとしても、その失敗ぶりは不可解なほど。・・・それよりはペテルブルクとモスクワの音楽界の確執が一因 だった可能性ははるかに高い。有り体に言えば、“ライバル都市に移って調子に乗っている若造が、挨拶もなしにペテルブルクに乗り込んでくる”という構図になってしまったのである。楽員のモチベーションは低下、有力者の視線は冷たく、中でも「ロシア五人組」の一員だったキュイは敵意むき出し、「地獄の住人を喜ばせる」というほぼ罵詈雑言の酷評はよく知られる。新進作曲家にとって、作品への正当な批判や演奏の問題はまだしも、自らへの過剰な悪意は想定を超えていたはずで、スランプに陥ったのも無理からぬことだった。

 マエストロ尾高先生が作曲家の精神状態についてコメントしているが、これで冒頭にお兄さんの「イマージュ」を持ってきた理由が分かるような気がする。
 全くの私見だが、「イマージュ」のテーマは、おそらく人間の心の中の「不安」ではないかと思う。
 そして、これがラフマニノフの交響曲1番につながる流れのように思えたのである。
 初演時、「地獄の住人を喜ばせる」というむき出しの敵意に直面したラフマニノフは、心を病んでしまう(ちなみに、私の依頼者には、親族の一言でうつ病になった方がいて、言葉の恐ろしさを痛感している。)。
 しかも、交響曲1番はその後「封印状態」とされ、演奏機会が極めて少なくなるという不幸な”生い立ち”を経験する。
 だが、尾高氏も指摘するとおり、聴いた人の多くは「結構いい曲だ」と思うはずである。
 なぜなら、交響曲1番は、「僕、ラフマニノフ!」という、素直でストレートな自分らしさに溢れた曲だからである。
 さて、亀井さんの協奏曲2番だが、1楽章前半が予想に反する”重い”音の連続である。
 中学生の頃からセシル・リカドの軽い音に馴染んだ私は、ここでやや面食らった。
 私の印象では、1楽章前半はやや緊張があったようだが(この演奏会は3会場で行われ、この日が初回)、すぐにいつもの熱く戯れる気分(「熱く戯れる」気分とテンポの問題)を取り戻したようである。
 幼い頃からコンクール慣れしているアーティストはこのあたりがさすがである。
  
 

 

コメント
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