そういえば、普段は温厚なのに、クルマを運転すると人格が変わったように攻撃的になる人をときどき見かける。
これは、(高速度で)「移動」をしていると、「攻撃」衝動にスイッチが入ってしまうからではないだろうか?
近年社会問題化した「あおり運転」にしても、私などは、根本に「攻撃」衝動があるのではないかと推測するのである。
「感情コントロールができない
丸山(1995)は、交通事故を起こしやすい人の特徴に、一時的な興奮を抑えることができない衝動的な傾向”かっとなる特性”を挙げています。また煽り運転の研究が盛んな、イギリスの研究では、交通事故の85%が怒りの結果と分かっています。・・・
自分が嫌い
怒りっぽい人は、自分のことが嫌いな傾向にあります。そして、自分を嫌いな人は、攻撃性が強いことも分かっています。怒っているということは、自己嫌悪になっている可能性が非常に高いのです。
勝ち負け思考
怒りの感情が出やすい人は、周囲との競争意識が強い傾向があります。何事も勝ち負けで考えてしまうことで危険運転など攻撃的な行動をとってしまいます。
支配-被支配
イライラしやすい人は、上下関係での人間関係しか築けない傾向があります。過去に虐待などの強い上下関係の場所にいたことで、勝ち負け思考が強くなり、支配・被支配の関係を作ってしまいます。」
クルマの運転は「攻撃」衝動の”ガス抜き”となり得るわけだが、その最中に「怒り」を呼び起こすような出来事が生じると、”ガス抜き”の次元を越えて、本当の「攻撃」=「あおり運転」に発展してしまうということのようだ。
ここでのキーワードは、「勝ち負け」である。
そして、「あおり運転」型の「攻撃」を行う人は、「自我」ないし「自己愛」に大きな問題を抱えていると思われる。
「愛は、自我が<器官快感>を獲得することによって、欲動の刺激の一部を自体愛的に満足させることができることに由来する。愛は根源的にナルシシズム的なものであるが、その愛は拡張された自我の中に同化された対象にも適用されるようになる。・・・
憎しみは、対象との関係においては愛よりも古い。ナルシシズム的な自我が、刺激を与え外界に対して示す原初的な拒否から、憎しみは発生する。」(p44~45)
憎しみは、対象との関係においては愛よりも古い。ナルシシズム的な自我が、刺激を与え外界に対して示す原初的な拒否から、憎しみは発生する。」(p44~45)
何度読んでも味わい深い文章である。
「自我」を拡張しようとしたところ、そこに入り込んだ「対象」が「不快」に感じられると、この種の人たちは、この「対象」に対して「原初的な拒否」、すなわち「攻撃」を行うのである。
なので、「あおり運転」の加害者たちと、「一方的な『自我の拡張』」を拒否したホステス・キャバ嬢に逆切れしてケガをさせる人たちは、同様の精神的な問題を抱えているということが出来るのである。