Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

デー・テー・ファーブラ

2023年06月20日 06時30分00秒 | Weblog
 「舞台は、日本のどこかの島。改革派と保守派がしのぎを削る村長選挙の真っただ中、年に一度の女性だけで行われる神事が行われようとしていた。
 そこへ集った、年齢も立場もバラバラの女性7人。
 ワンシチュエーションで展開される、女性7名の真摯で、時に滑稽な会話を通して、結婚、不妊、介護、パワハラ...女性たちが直面する様々な問題が浮かび上がります。
 伝統継承と変化に揺れる地方都市は、やがて彼女たちの姿に重なり、日本の「今」を感じることができるでしょう。

 「全裸監督」の脚本も手掛けた山田佳奈さんは、「沖縄の離島」で取材した経験からこの作品を作ったと語るが、これを真に受けることは出来ない。
 この戯曲の背景を成す政治的な対立、すなわち村長選挙における「村長と区長の一騎打ち」について言えば、これは沖縄の島のことではない。
 私がそう言えるのは、サラリーマン時代、ある島(沖縄ではない)の政治・経済状況について、前任者から聞いて唖然とした経験があるからである。
 その前任者によれば、A島はXという政治家とYという政治家がともに地盤にしていて、XとYは選挙のたびに激しい抗争を繰り広げていた。
 島民も”X派”と”Y派”に分かれて激しく対立していたが、選挙制度の変更によってYがA島から撤退するや、”Y派”であった人たちの大半が仕事を失い、借入金の返済が出来なくなったというのである。
 当時「○○戦争」と呼ばれていたこの島の状況について、私もテレビなどで見聞きしていたものの、実際に赴任してみるまで、これほど「ゼロサム状況」が深刻だとは知らなかった。
 この芝居の中核的なテーマも、「人間同士の争い」であるが、島に住む者、あるいは東京から取材に来た人までも、好むと好まざるとにかかわらず争いに巻き込まれてしまい、「村長派」または「反村長派」のレッテルを貼られてしまう。
 「ゼロサム族」、「マウンティング族」(「村長の娘」がその典型)と付き合っているうちに、「敵」か「味方」のいずれかに分類され、いつの間にか当事者になってしまうのである。
 例外なのは、外部から嫁いできた女子大生(若い子)と、祭祀を執り行う
「司さま」くらいである。
 「司さま」は、この島の現状について、こう指摘する(但し、私が記憶に基づいて再現したセリフなので、おそらく不正確である。)。
 
 「今、この島の人たちがやっとるのは、戦争じゃ。昔となーんもかわっちゃおらん。

 実は、島民の多くは、戦争がもたらす「熱狂」を歓迎しているのかもしれない。
 コンラート・ローレンツも指摘するとおり、「熱狂」は「快」をもたらしてくれるからである。
 「戦争」は、遠い昔の話ではなかった。
 この芝居を観て、私は、デー・テー・ファーブラ という言葉を思い出したのである。
コメント
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