ヴィオレッタ「涙を流したかったのよ・・・もう落ち着いたわ・・・
お分かりでしょう?・・・貴方に微笑んでいるのよ・・・
私は、あそこ、あのお花のあいだで、いつも貴方のおそばにいるわ。
私を愛してね、アルフレード、私が貴方を愛しているくらい・・・さようなら。」(p60)
「音楽上の欠点」というのは、登山に例えて言えば、「”疑似ピーク”があるのに、”ピーク”が見つからない」ということである。
上に引用した2幕6景ラストの"Amami, Alfredo!"は、別れを決意したヴィオレッタの絶叫であり、”疑似ピーク”である(なので、多くの聴衆が泣くはずである。)。
これが”疑似ピーク”だというのは、別れの場面であって、”ピーク”にふさわしい「愛の二重唱」ではなく、ヴィオレッタの独唱となっているからである(そもそも、3幕のオペラで、2幕にピークを持ってくるわけがない。)。
なので、普通のつくり方だと、同じ旋律が3幕でも登場し、今度は「愛の二重唱」となって、本当の”ピーク”を迎える形となるのが自然である。
こうした”ダブル・ピーク”構成の典型は「トリスタンとイゾルデ」であり、但し「二重唱」→「独唱」というつくりになっている。
2幕2場の「愛の二重唱」はクライマックス直前で中断され、「寸止め」の”疑似ピーク”で終わる。
だが、同じ旋律が3幕ラスト:イゾルデの独唱による「穏やかに静かに彼が微笑んで」(イゾルデの愛の死)によって完成し、見事な”ピーク”(というかエンディング)が出現するのである。
このあたりの”疑似ピーク”と”ピーク”のつくり方は、やはりワーグナーが上手だった。
・・・さて、「椿姫」の場合、音楽上の欠点だけでなく、私見では、ストーリー上の欠点も目立つように思う。
その原因は、原作テキストの読み方にあるようだ。