Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

傑作の欠点(5)

2023年06月23日 06時30分00秒 | Weblog
 ヴィオレッタ「涙を流したかったのよ・・・もう落ち着いたわ・・・
 お分かりでしょう?・・・貴方に微笑んでいるのよ・・・
 私は、あそこ、あのお花のあいだで、いつも貴方のおそばにいるわ。
 私を愛してね、アルフレード、私が貴方を愛しているくらい・・・さようなら。」(p60)

 「音楽上の欠点」というのは、登山に例えて言えば、「”疑似ピーク”があるのに、”ピーク”が見つからない」ということである。
 上に引用した2幕6景ラストの"Amami, Alfredo!"は、別れを決意したヴィオレッタの絶叫であり、”疑似ピーク”である(なので、多くの聴衆が泣くはずである。)。
 これが”疑似ピーク”だというのは、別れの場面であって、”ピーク”にふさわしい「愛の二重唱」ではなく、ヴィオレッタの独唱となっているからである(そもそも、3幕のオペラで、2幕にピークを持ってくるわけがない。)。
 なので、普通のつくり方だと、同じ旋律が3幕でも登場し、今度は「愛の二重唱」となって、本当の”ピーク”を迎える形となるのが自然である。
 こうした”ダブル・ピーク”構成の典型は「トリスタンとイゾルデ」であり、但し「二重唱」→「独唱」というつくりになっている。
 2幕2場の「愛の二重唱」はクライマックス直前で中断され、「寸止め」の”疑似ピーク”で終わる。
 だが、同じ旋律が3幕ラスト:イゾルデの独唱による「穏やかに静かに彼が微笑んで」(イゾルデの愛の死)によって完成し、見事な”ピーク”(というかエンディング)が出現するのである。
 このあたりの”疑似ピーク”と”ピーク”のつくり方は、やはりワーグナーが上手だった。
 ・・・さて、「椿姫」の場合、音楽上の欠点だけでなく、私見では、ストーリー上の欠点も目立つように思う。
 その原因は、原作テキストの読み方にあるようだ。
 
コメント
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