(前回の続き)
「ある行動を解き放つ刺激の限界値が下がって、特殊な場合にはいわばその極限値がゼロに達することがある。・・・
行動を解き放つ刺激もかなり長い期間にわたって断つと、現れるはずの本能運動が「せきとめ」られる結果、さきほどのように反応しやすくなる。そればかりではない。その結果はるかに深刻な経過をたどり、生物体全体を巻き添えにしてゆく。原則として、本能運動から今のようなやり方で沈静の可能性を取り上げてしまうと、それが真の本能運動であれば必ず、動物は全体として不安に陥り、その本能運動を解き放つ刺激を求めるようになるという特質を持っている。」(p85~86)
防衛機制の一つである「昇華」(sublimation)の説明としても通用しそうな記述であるが、そうではない。
これは、ホシムクドリが虫を捕食する行動に関し、虫がいなくとも獲物を打ち殺して呑み込む動作を繰り返す理由についての説明である。
「攻撃」が人間の内部から「自発的」」に出て来るもの、すなわち「本能」に根差す行動であるとすれば、上に引用したテーゼ(但し、ホシムクドリについてのもの)も当てはまる可能性があるだろう。
つまり、「攻撃」を過度に「せきとめ」てしまうと、ふとした刺激に対して反応し、「攻撃」を行ってしまうというわけである。
精神分析の世界では、「昇華」が、「攻撃」(衝動、libido, aggression)の「ガス抜き」ないし解決策の一つとして位置づけられているようだ。
これに対し、コンラート・ローレンツは、一つの解決策として、「儀式化」による「攻撃」の緩和・無害化を提唱している。