コロナ禍のためなかなか実現しなかった本場イタリアのパレルモ・マッシモ劇場の引っ越し公演。
ベタな演目ではあるが、観る/聴くたびに新たな発見がある。
ヴィオレッタ役のエルモネラ・ヤオは、高音部で声が揺れる傾向があり、余り私の好みではないのだが、それを上回る”演技力”が光る。
例えば、1幕ラストのアリアでは、途中で咳き込む演技が入る。
なるほど、この時点で死の予兆を盛り込んで悲愴なタッチを加えるのは渋い演出である。
これによって、どうして彼女が、「喜びから喜びへ」という生の頂点において、「消えていく」ことを望まなければならないのかが理解しやすくなる。
アルフレード役のフランチェスコ・メーリは、理想的な伸びやかな声のテノール歌手で、私が数十年聴き親しんでいるCDのアルフレード・クラウスより聴いていて心地がよい。
当然のことながら、オーケストラも素晴らしい。
他の楽団とは使用する楽器が違うのかと疑うくらい、絶妙な音の強弱と澄んだ管楽器の響きが際立つ(ちなみに、(一部の)国内の楽団とヨーロッパの楽団とでは、同じ曲をほぼ同じ席で聴いていても、音量がまるで違ってきこえることすらある。)。
さて、何回か観る/聴くうちに、「傑作の欠点」が見えてくるものだが、既に指摘したのは、「オランプ嬢」のくだりをヴェルディがまるまるカットした点であるが、今回気付いたのは、音楽上の欠点と、ストーリー上の欠点である。