Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

傑作の欠点(9)

2023年06月27日 06時30分00秒 | Weblog
 以上を踏まえて、原作テクスト、さらにそれを超えて原作者の真の意図に出来る限り忠実に内容を修正しようとすれば、どうなるだろうか?
 まず、題名が「ラ・トラヴィアータ」(道を誤った女)のままではダメである。
 「道を誤っ」ているのは「世間」なのだから。
 なので、題名は、「イ・トラヴィアーティ」(道を誤った男ども)とすべきである(ただし、私はイタリア語を知らないので、これが男性複数形で合っているかどうか確信が持てない。)。
 次に、「世間」を体現するジェルモンは、最後まで悪役のままとどめおくべきである。
 これこそが、デュマ・フィスが、小説化する際にわざわざ自身の体験を改変した重要なポイントである。
 つまり、「世間」が二人の仲を裂こうとするのである。
 具体的には、ジェルモンは、2幕の前半にだけ登場し、それ以降は登場せず、ヴィオレッタと和解することもない。
 そして、2幕の後半には、ジョン・ノイマイヤー氏が指摘したように、重要人物であるオランプ嬢を登場させ、ヴィオレッタの眼前でアルフレードとイチャつく場面をつくるべきである。
 もちろん、この後二人は別れ、アルフレードとヴィオレッタがよりを戻すところまでがお約束であるが。
 3幕は、原作のままだと救いがないので、改変が必要だろう。
 アルフレードと和解し、ドゥミ・モンド(裏社会)と訣別したヴィオレッタは、「再び生きる」ことを熱望してアルフレードと婚約するが、婚礼の式の直前で死ぬと言う筋がすわりが良いだろう。
 最後に、これが一番重要だが、3幕のラスト(当然ジェルモンは登場せず、二人きりの場面となる)には、このオペラの”ピーク”が来ることになる。
 それは、2幕6景ラスト("疑似ピーク")のヴィオレッタによる独唱”Amami Alfrefo”と同じ旋律で、いまわの際のヴィオレッタを胸に抱えるアルフレードによる独唱(絶唱):
 「お前を愛している、ヴィオレッタよ!
 「お前が愛してくれたよりももっと強く!
である。
 そして、彼が歌い終えた瞬間、ヴィオレッタは事切れるのである。
 これに対し、ワーグナーが、「これは俺の『トリスタンとイゾルデ』のパクリじゃねえか!」とクレームをつけてくるかもしれないが、それには、「アルフレード(ないしデュマ・フィス)はこの後も生きていくのだから、「愛の死」ではない」とでも反論すればよいだろう。
 
 
コメント
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