強すぎる/不健全な自己愛が育たないようにするためには、乳幼児期において、「よい体験」が「わるい体験」を上回るよう配慮することが重要となる。
だが、成人するまで「よい体験」ばかりしていると、「ノン・フラストレーション児童」になってしまい、社会に適応できなくおそれもある。
なので、ある程度成長した児童にとっては、「わるい体験」を味わうことも必要である。
ところで、強すぎる/不健全な自己愛と一体の関係を成す「ゼロサム思考」や「マウント思考」は、個人に特有のものではなく、集団のレベルでも発現することがある。
「シドニー・マーギュリンは、コロラド州デンバーに住んでいる精神科医で精神分析学者であるが、かれはプレーリー・インディアン、とくにユーティ族について、じつに精密な精神分析的、社会心理学的研究を行っていた。かれが明らかにしたところによると、これらのインディアンたちは、今日の北アメリカのインディアン保護地域の通常の生活条件のもとでは、攻撃衝動をうまく消散できず、攻撃衝動をもてあまして非常に悩んでいる。マーギュリンの意見では、プレーリー・インディアン族がほとんど戦争と盗みばかりの野生生活をしていた数世紀そこらの比較的短い間に、極端な淘汰圧が働いて、極度の攻撃性が育てられたのだという。かれらがこんな短い期間のうちに遺伝する形質を変えてしまったということは、大いにあり得ることなのだ。きびしく淘汰していけば、家畜の品種も同じようにすみやかに変わる。」(p334)
いかにも生物学者らしい指摘であるが、人間に限らず、生物の性格は遺伝する。
余談だが、昔、モガミというフランス生まれのいわゆる「暴れ馬」がいて、日本では種牡馬として活躍したのだが、その産駒は、パドックを見ればすぐに分かるというので有名だった。
モガミを父に持つ馬は、パドックでは、常にイライラしながら速足で歩いているからである。
さて、こういった攻撃的な性格をもつ個体が、集団のレベルで優勢になると、この集団全体が暴徒化するのは自然な流れである。
集団で「戦争と盗みばかりの野生生活」を行っているうちに、攻撃的な性格が遺伝上の優勢な形質となり、「淘汰圧」によって攻撃的な集団が誕生するわけである。
ちなみに、ユーティ族インディアンはノイローゼを発症する頻度が極めて高く、かつ、自動車事故を起こす傾向も不思議なくらい強かったが、マーギュリンは、その原因は「満たされない攻撃性」にあると考えた。
私は、この推理は全く正しいと思う。
こうした例は、日本人にとっても他人事ではない。
一部の法学部・ロースクールのように、「勝ち負け」を競うのが大好きな人たちが集団を形成してしまうと、ユーティ族インディアンほどではないけれど、「競争と盗みばかりの大学(院)生活」の中で、攻撃的な集団が誕生してしまうかもしれないのである(没知性から窃盗・賭博へのロードマップ)。
この種の集団を、「ゼロサム族」、「マウンティング族」などと呼ぶと分かりやすいかもしれない。