「『日本書紀』の敏達(びだつ)天皇六年(577)の条に「詔して日祀部(ひまつりべ)を置いた」という記事がみえます。この記事の意味と信頼度は、いままでわからないものの一つでしたが、今谷文雄氏が「古代太陽神崇拝に関して」(日本歴史」131号)という論文で、その説明をされました。この論文は、短いけれども重大な内容をもっています。この論文があきらかにしたことは、朝廷に日祀部を置いた敏達六年には、天皇家は太陽そのものを礼拝していた、つまり日まつりを行なっていたのであって、このころにはまだ天皇家の先祖伸としてのアマテラスオオミカミはできていなかった、という事実です。
天皇家は、いつのころからかトーテムとしての太陽をまつるようになっていた。しかし、そのような天つカミ=日(太陽)は、どこまでも自然神であって、人格化されて天皇の始祖とみなされるところまではいっていない、というのです。これは、賛成せざるをえないすぐれた研究です。」(p61~62)
なるほど。
天照大神のモデルは、太陽なのだった。
もちろん、(自然神としての)太陽を崇拝する思考は、古今東西至る所でみられる。
"--- Fragt man mich, ob es in meiner Natur sei, die Sonne zu verehren, so sage ich abermals: durchaus! Denn sie ist gleichfalls eine Offenbarung des Höchsten, und zwar die mächtigste, die uns Erdenkingstern wahrzunehmen vergönnt ist. Ich anbete in ihr das Licht und die zeugende Kraft Gottes, wodurch allein wir leben, weben und sind, und alle Pflanzen und Tiere mit uns."
(ーまたもし私の本性の中に太陽を崇拝する気持ちがあるかと問う人があるならば、私は再び、無論だ!と答える。何故なら、太陽は同じように最高者の啓示であり、しかもわれわれ人間に認めることが許されている最も強力な啓示であるからだ。私は太陽に現われる神の光と神の生産力とを崇拝する。われわれは専らそのお蔭によって生き、働きかつ存在し、またすべての動植物もわれわれと共にそうしているのだ。)(p134~135)
ニーチェ先生が「人間的な、あまりに人間的な」の中で「ドイツ語の最高の本」と賞賛した「ゲーテとの対話」からの抜粋。
ゲーテは、何と「太陽崇拝」の信仰告白を行っていた!
(つくづく第三書房の廃業は残念なことだが、この「対訳双書」シリーズは出版権譲渡の対象から外れてしまったのだろうか(第三書房の書籍について)、古本市場では1万円を超える値段が付いている。)
「我が国は『日いづる国』、国旗も『日の丸』、天皇陛下ももともとはお日様を崇拝しておられたし、ゲーテ先生もお墨付きを与えて下さっている。それでは、来年からは、年末年始休暇を『太陽復活ウィーク』と称して、盛大に”日本版『サートゥルナ―リア祭』を祝いましょう!」
と行きたいところである。
だが、そこに問題はないだろうか?