「「新春浅草歌舞伎」の最終日となる1月26日11:00開演回および15:00開演回が、歌舞伎オンデマンドにて生配信される。」
仕事帰りに弁当を持って幕見席で歌舞伎を観る人は多いと思うし、私もその一人だった。
だが、夕方以降の仕事がちょくちょく入ったり、なんとか歌舞伎座に着いても弁当が売り切れだったり、近年はコロナ禍に見舞われたりして、すっかりその習慣がなくなってしまった。
コロナ前は歌舞伎座前にたくさんの人が行列を成していたが、今では、わざわざ並んでチケットを買って4階の幕見席から観るくらいなら、オンデマンドで好きな時間に観る方がよいと考える人も多いだろう。
その「新春浅草歌舞伎」第一部の最初の演目は、「本朝廿四孝~十種香」だが、このストーリーもレシプロシテ原理てんこ盛りである。
「甲斐の武田信玄と、越後の長尾謙信は、国境をへだてて敵対している。室町幕府の将軍足利義晴は、両家を和睦させようと、武田の子息勝頼(かつより)と長尾の娘八重垣姫(やえがきひめ)を許婚(いいなづけ)とする。その後、義晴が暗殺され、武田、長尾両家は三回忌までに犯人を見つけられない場合は、双方の子息の首を差し出すことを将軍家に約束する。
期限内に犯人は見つからず、信玄の子で盲目の勝頼は切腹する。だがこの勝頼は、実は家老板垣兵部の一子で、勝頼と瓜二つであり、赤児の折にすりかえられていたのだ。本物の勝頼は簑作(みのさく)と名付けられ、庶民として成長していた。簑作実は勝頼は、長尾方に奪われた武田の家宝<諏訪法性の御兜>(すわほっしょうのおんかぶと)を奪いかえすため、武田家の腰元で盲目の勝頼の恋人だった濡衣(ぬれぎぬ)とともに身分をかくし、長尾家に仕官する。」
期限内に犯人は見つからず、信玄の子で盲目の勝頼は切腹する。だがこの勝頼は、実は家老板垣兵部の一子で、勝頼と瓜二つであり、赤児の折にすりかえられていたのだ。本物の勝頼は簑作(みのさく)と名付けられ、庶民として成長していた。簑作実は勝頼は、長尾方に奪われた武田の家宝<諏訪法性の御兜>(すわほっしょうのおんかぶと)を奪いかえすため、武田家の腰元で盲目の勝頼の恋人だった濡衣(ぬれぎぬ)とともに身分をかくし、長尾家に仕官する。」
「和睦のための政略結婚」のより八重垣姫が échange の客体にされてしまい、また、足利義春の命の代償として「偽勝頼の首」が捧げられる。
やはり、どうしようもない絶望の社会である。
ちなみに、武田の家宝「諏訪法性の御兜」というのは、モース先生の本によく出て来る未開社会における呪術的性格をもった「護符」と似ている。
つまり、「霊的な起源」に由来するものである(特別な日(6))。
こうして考えてくると、この演目の唯一の救いは、八重垣姫の、(もともとは敵方であった)勝頼に対する熱烈な愛くらいのような気がしてきた。
もっとも、「ロミオとジュリエット」の自発的な愛ではなく、将軍が強制した政略結婚が契機なのではあるが・・・。