♬~毎日がスペシャル 毎日がスペシャル Everyday is a special day~♬
私のiPodから流れてきたのは、竹内まりや氏の「毎日がスペシャル」だった。
一見すると、「『特別な日』を作るな!」という私の新年の抱負(暫定版)に真っ向から反しているように思える。
だが、歌詞を読むと、それは間違いであることが分かる。
「・・・この曲が誕生したきっかけは、生きる事を考えさせられる深いものです。
テレビ番組で重い病に冒された患者が「目覚めて息をしているというだけで、とても幸せだと思う」といった言葉を聞いたことなのだそうです。
それを聞いた竹内まりやは、自分が「健康であるだけで幸せなのだから、もっと頑張ろう」というメッセージソングの制作を目指したと言われています。
そんな深い想いを彼女なりの感性で表現したのが「毎日がスペシャル」なのです。」
「生きていく事は、「心の持ち方」次第なのだと思います。「毎日がスペシャル」なのは、優等生・人気者・ナイスなbodyの方だけではありません。
自分自身が毎日を特別な日だという気持ちで過ごせるかどうかなのです。
生きていれば、みんな少しずつ年齢を重ねていきます。そして、いつかは終わりが来るのです。
そう考えると生きているという事自体が奇跡のように思えまないでしょうか。そして、「何でもない一日」の大切さをとても感じますよね。
誕生日や記念日などだけが特別なのではありません。「毎日がスペシャル」なのです。」
なるほど。
「毎日がスペシャル」ということは、裏返せば、特定の一日だけが「特別の日」ではないということ。
したがって、太陽の運行を規準として時間を「日」に区分し、そのうちの特定の1日(例えば1月1日)を「特別な日」として祝う思考は克服されたことになるだろう。
また、ここでは主語が非常に重要で、まりや氏の言わんとするところは、「毎日の『私』がスペシャル」ということなのだろう。
ヘラクレイトスの「太陽は日々に新らし」の主語は「太陽」であり、これが太陽の神格化につながっているのだが、主語を「私」にすれば、この思考を避けることが出来るのである。
さらに、歌詞を見ていくと、「アワビ」ではなくて「シナモンロール」、「ヘビ」ではなくて「彼」(但し若干ヘビのように陰湿?)といった具合に、ヒエロファニー的な存在は一切排除されているし、「占いラッキーじゃなくてもね」、「人気者じゃなくってもね」のくだりでは、あらゆる「聖」化や「アイドル」化を否定するかのようである(実際、彼女は若いうちに「アイドル」を引退している。)。
つまり、まりや氏は、「毎日がスペシャル」という歌によって、太陽の「脱聖化」を狙っているのであり、彼女はアリストテレスの同志なのである。
もともと、「太陽をアイドル化するな!」「「特別な日」をつくるな!」という風に、抱負やスローガンを否定形にするのは宜しくないことだったようだ。
英語圏の人たちは、小さいころから、「否定形で文章を作ってはいけません!」と大人たちから厳しく指導される。
否定形の表現は、人間をネガティヴな思考・行動へと導くからである。
私の年頭の抱負も、やはり肯定形の表現にすべきだった。
・・・という訳で、私は、2024年の私の抱負を、
「誰もがみな『アイドル』!」
「毎日が「特別な日」!」
にしようかと思うのである。