「当時、男性は既婚、女性は未婚だったが、男性教諭が女性教諭に好意を抱き、19年7月から男性教諭が他校へ異動する21年春まで、校内で日常的に胸や尻を触っていたほか、男子トイレ内での性行為、裸の写真や下着姿などのわいせつ画像の送信要求などを繰り返していたという。・・・
内田教授によると、学校には暴力やハラスメントに対して内部での指導で乗り越えようとする文化があるといい「男性教諭は教務主任という期待される立場でもあり、校長は何とか指導で乗り越えようとしたのではないか」と推測。「困った時に適切に相談できる態勢があれば、こうした事案は起きなかったかもしれない」と指摘している。」
江戸時代、不義密通は大罪であり、外部に発覚すればお家取り潰しの理由ともされた。
なので、江戸時代の武士や町人は、不義密通を「内々に処理」しようとしていたようである。
ところが、それと似た事件が、現代の日本で起こった。
日本の学校には、「暴力やハラスメントに対して内部での指導で乗り越えようとする文化」があるらしいが、この絶望的な状況は、江戸時代からほとんど変わっていないかのようだ。
「貧しい魚屋の宗五郎一家の暮らしは、妹のお蔦(つた)が大身の旗本、磯部主計(かずえ)之助(のすけ)の側室とされたことで豊かになりました。だが、お蔦は不義の疑いで主計之助に手打ちにされてしまいます。」
自らのイエを救うため200両で磯部主計之助に「買われて」側室となったお蔦は、彼女に横恋慕する用人:岩上典蔵から手籠めにされそうになった後、彼の意趣返しで不義密通の濡れ衣を着せられる。
典蔵の告発を真に受けた磯部は、なんと、お蔦の「たぶさをとって引き回し、一太刀でもって斬り殺した」あげく、死体を井戸に投げ捨てた。
つまり、お蔦は、不義密通の被疑事実(しかも濡れ衣)により、お上による裁き(司法手続)を経ることなく、主人によって「お手討ち」されたのである。
なんだか、「暴力やハラスメントを内部の指導で乗り越えようとする」現代の教育界と似ているではないか!
・・・それにしても、この演目は、果たして「新春歌舞伎」にふさわしいのだろうか?