Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

特別な日(4)

2024年01月04日 06時30分00秒 | Weblog
 「現在の暦が使用されるようになったのは明治6年1月1日から。 この日はそれまで使用されていた天保暦では、明治5年12月3日に当たります。 ですから、明治5年の12月は1日と2日の2日間しかありませんでした。
 この改暦が正式に決定されたのは、明治5年11月9日のこと。「太政官布告(第337号)」という法律によってです。 法律の公布から、実際の改暦までの期間が1ヶ月もないという慌ただしさです。年末ですので、既に翌年の暦は印刷されていましたが、この法律によって既に印刷されていた暦は、紙屑になってしまいました。
 明治の改暦は突然で、十分な検討もされないまま施行されましたので、多くの誤りや問題点をのこしていました。 そこまでして明治新政府が改暦を行った理由には、深刻な財政問題があったといわれています。 というのは、従来の暦では翌明治6年は閏年で、閏月が入るため1年が13ヶ月あることになっていました。既に役人の給与を年棒制から月給制に改めた後なので、明治6年には13回、給与を支払わなければなりません。これは、財政難であった明治新政府にとって悩みの種でした。
 その上、太陽暦に切り替えることによって、明治5年の12月は2日しかありませんので、 この月の月給は支払わないこととすれば、明治5年分の給与も1月分減らせる、正に一石二鳥の改暦だったわけです。

 天保暦から太陽暦への改暦は、明治政府による暴挙だったようである。
 もっとも、政府から「来月から暦が変わります」と言われて、国民がこれに素直に従ったとは考えにくい。
 私の想像では、多くの人たちは、これまで通りの旧暦に則ったライフスタイルを維持すべく、1月1日はあくまで「春の始まり」であると強弁したのではないだろうか?
 ただ、そうなると、日程的には「春の始まり」よりもサートゥルナ―リア祭、つまり「太陽の復活」の方に近い。
 ちなみに、日本には、旧暦(太陰暦)の1月1日に「太陽の復活」を祝う祭典を開催している島がある。

 「伊勢湾の入口に神島という孤島があります。もともと志摩国に属しているので、いまは鳥羽市の中に含まれていますが、どちらかというと志摩半島よりは愛知県の渥美半島に近い島です。ここは孤島ですので、古い風習がたくさん残されています。
 この島では毎年旧暦正月の元旦、まだくらいうちに東の空を仰ぎながら行なう太陽霊の復活祭があります。それはゲーター祭とよばれるもので、グミの木を編んでつくった直径6尺の輪(白布または白紙を巻いてある)を空高くさしあげる行事なのです。・・・
 このゲーター祭は、あきらかに太陽霊の復活を祈るまつりです。」(p185~186)。

 「鳥羽市の離島・神島で9日、「子どもゲーター祭り」が2年ぶりに行われた。地元の神島小・中学校の児童生徒16人と保護者や島民らが、長さ約4メートルの女竹(めだけ)を持ち、太陽に見立てた直径1メートル余の白い輪「アワ」を何度も何度も突き上げた。やり遂げた児童らは「重かった」と言いながらも笑顔を見せていた。

 旧暦の正月というのがちょっと惜しいところだが、これを太陽暦の1月1日に行えば、日本版「サートゥルナ―リア祭」(但し、政治的・社会的儀礼としての性格は持たない)となるところである。
 ・・・いやいや、冷静に考えてみれば、元旦には多くの人が「初日の出」を拝むわけだし、「鏡餅」の1つは太陽を表しているそうなので(鏡もちの由来と美味しく食べるコツ)、年末年始の休暇を、やや強引に「太陽復活ウィーク」と呼んでも良いような気がしてきた。


コメント
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