Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

結局歌になる

2024年01月27日 06時30分00秒 | Weblog
 イアン・ボストリッジは初めて聴くのだが、「これぞテノール」というべき美声で、満足感を覚える。
 名手といえども最初は緊張があるのか、1,2曲目はやや声のボリュームが控え気味だったが、3曲目くらいからはフルスロットル状態。
 4曲目のStändchen(セレナーデ)は絶好調で、ピアノ(ジュリアス・ドレイク)との息も完璧に合っている。
 こんな風に、ドイツ・リートにおいてはピアノも「歌う」のであり、人間の声との二重唱を奏でるわけである。

シベリウス/組曲『カレリア』
グリーグ/ピアノ協奏曲*
シベリウス/交響曲第2番  

 2週間ほど前、職場の近くの駅で、特徴的な巻き毛をした巨体の外国人とすれ違った。
 すぐに見覚えのある人物とわかったが、マルティン・ガルシア・ガルシアではないか!
 奥さんが日本人らしいので、彼と遭遇するのは不思議ではないのだが、山手線で移動するというのは意外である。
 さて、今回は大先輩ともいうべきミハイル・プレトニョフの指揮で、東フィルとグリーグのピアノ・コンチェルトを共演する。
 当然のように第1楽章から鼻歌は全開だが、今回気付いたのは、「和音が割れない」こと。
 この曲で和音を弾くときは、多くのピアニストがどうしても「割れた音」になってしまう。
 その原因は、おそらく「手の大きさが足りない」ことにあると思う。
 素人考えだが、音域が広すぎて手が追い付かず、小指や薬指のタッチの力がどうしても弱くなるからではないだろうか?
 想像したとおり、ガルシア・ガルシアの手は巨大で、15度まで開くそうである(ガルシア・ガルシア)。
 アンコールはシューマン/リストの「献呈」。
 もともとドイツ・リートの曲だが、ピアニストがピアノが一体となって「歌」をつくりあげている。
 ピアノとのデュエットというべきか?
 シベリウスの「交響曲第2番」は、かなりドラマティックな曲で、退屈しない。
 プレトニョフは、いつもと違い、眼鏡(老眼鏡?)をかけて、暗譜ではなくスコアを見ながら指揮をしている。
 ときおり(特にコントラバス独奏パート)で、楽器の音とは思えない低い音が聞こえてくる。
 これは、どう考えてもプレトニョフの鼻歌である。
 結局、彼も歌い出してしまった!
コメント
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