”事実は小説よりも奇なり”というが、「綱引き」(ルデンス)はさすがに「政治」と「法」のエッセンスが詰まった傑作であり、現実がこれを超えるのは無理だった。
つまり、”事実は戯曲を超えず”だった。
残念ながら、江戸時代の日本には、「神殿」のような公共空間が存在していなかったからである。
「ギリシャ・ローマの都市は神殿を公共空間創設の柱とするのである。神殿は神々の住居であった。彼らを地上へ引き下ろし、人間のように空間を占拠させる。逆に言えば限定される。こちら側は彼らの支配下にない。なおかつ、神々の住居は、その内部に人々を囲い込むことが決してないように造られる。それは外から見えるように出来上がり、墓の内部で行われた秘密の集会を起源とする教会のように人々が中で集う空間では決してない。かつ列柱により半透明性、濾過性、が強調される。オープンではあるが、区切られていて、実力がそのまま押し入ることは出来ない。こうして誰でもアクセスできる(信者や特定の神を頂く集団を概念しない)単なる私的住居たる神々の家は複数林立し、しかも近接集住を保つ。そうすると、人々の諸集団はクロスするようにしてアクセスしあうこととなり、クロスする空間、ヴァーチャルな意味における十字路、においてまさに公共空間が出来上がるのである。・・・」(p41~42)
「綱引き」にはヴィーナス(ウェヌス)の神殿が登場し、極めて重要な役目を担う。
パラエストラとアンペリスカという2人の芸者が神殿に逃げ込んだところ、追いかけてきた女衒のラブラクスは、実力で彼女らを捕まえようとする。
そこにダナエモスが介入し、神殿の内部であるという理由で実力の行使を制止し、「芸者は俺の所有物だ」というラブラクスの主張も斥ける。
このくだりには、あらゆる実力を排除し、一定の質をもった言論のみが通用する公共空間である「神殿」の性質がよくあらわれている。
木庭先生によれば、「神殿」は「政治」の成立の徴表なのである。
同時に、ダナエモスの行動は、まさに「法」そのものと言って良く、現代で言えば「保全」と似た発想に立っている。
ダナエモスが意図しているのは、現状を固定し、実力でこれを動かすこと(回復しがたい損害の発生)を防止するとともに、権原(原因)に基づく主張は差し当たり排除するということだからである。
まずは占有を守り、権原(原因)の問題(本案)は後でじっくり審理するというわけである。
ちなみに、この戯曲の本案の審理においては、物証(小箱)によって、パラエストラは自由人として生まれたことや父の名が「ダナエモス」であることなどが明らかとなる。
・・・ところが、江戸時代の日本には、こういう性質を持った「公共空間」が存在しなかった。
その理由を簡単に説明することは不可能だが、ギリシャ・ローマにおけるようなオープンな「都市宗教」が成立せず、その代わり、部族社会原理のどす黒い部分を含んだ「イエ」原理(紛れもなく一種の宗教である)が跋扈していたことは、一つの要因として挙げてよいだろう。
さらに言うと、おきち(お富)が親分に妾として囲われていたというのも、「イエ」原理の一環にほかならない。
「イエ」の当主であれば、正妻以外に妾を持つことが許されるが、他方、妾が他の男と交際することは犯罪視されるのである。
「与話情浮名横櫛」の作者が、実際におきちが囲われていた「周辺」=木更津や東金ではなく、敢えて「中央」=江戸・人形町の「玄冶店」をメインの舞台に設定したところには、自由と独立を奪われた女性たちに対する同情だけでなく、こうした状況を是認している徳川幕府(自らを「公儀」と呼ばせて「公」を僭称していた!)に対する批判が込められていたのかもしれない。
江戸の「玄冶店」に逃げ道はないが、木更津や東金であれば「海」という公共空間へのアクセスが許されている。
江戸の方が自由からは遠いのだ。
つまり、「源氏店」の設定には、「周辺」からの、「中央」に対する逆襲という意図があるのではないだろうか?
・・・こんな風に考えているうちに、現在の「中央」=国会議事堂は、「神殿」のような公共空間たるにはほど遠い状況であることが明るみになった。
何しろ、国会議事堂は、「裏金作り」に長けた人達に完全に乗っ取られ、各派閥=徒党のための「私的空間」と化してしまっていたのだから。