西洋古典叢書 L009 ローマ喜劇集 4 プラウトゥス 小林 標 他訳より「綱引き」(ルデンス)の解説
「この作品の特色の一つは、その異例の場面設定が劇内部に深く関わっていることである。多くのプラウトゥス劇の場面設定は、「アテナエの街のある家の前」でありさえすればそれ以上の特徴は必要としない。アテナエ以外の街、例えば『アントルピオ』」におけるテーバエ、が設定されていても、その違いが特に舞台上の効果を生むとは考えられない。ところがこの『綱引き』では、北アフリカにあるキュレネ市の、中心部を少し離れた寂れた海辺という設定が厳密になされる。実際上の舞台設定がどうであったかはともかく、せりふの上ではそこは岩の多い葦の茂った荒涼たる土地であり、背景には粗末な一軒家と、質素な神殿がある。このような設定はそれだけである魅惑をこの作品に付与するのであるが、同時にそれは、アテナエを忌避してそこに移り住んできた人、誘拐されてアテナエから連れてこられた女、遠くシキリア島を目ざして航海しながら難破のために連れ戻される人々など、人々の動きのダイナミズムを明瞭に感知させる働きもする。・・・
その土地を舞台に、幼時に誘拐されて芸者屋に売られていた女は父と再会し、恋人を奪われそうになっていた若い男は無事に彼女を取り戻して結婚までも可能となり、彼等に関わる副人物も同様の幸福を手に入れ、手柄を立てた奴隷は解放され、悪人は相応の損害を蒙る。つまりその物語自体は必ずしも喜劇的ではない。その頂点をなすのは父と娘の思いがけぬ「認知」であるが、そのような成りゆきになろうことはあらかじめプロロゴスが語っているから、観客にとっての驚きやサスペンス感の醸成も劇の本筋ではない。しかしそれでも『綱引き』は全体として多くの笑いに満ち、最終的に観客に満足をもたらす面白い作品に仕上がっている。」(p606~607)
プラウトゥスは、紀元前3~2世紀に活躍したローマの喜劇作家である。
場面設定は、「綱引き」は例外的に「キュレネ」(もっとも、これとてギリシャの植民都市である)だが、大抵の作品では「アテネ」である。
ちなみに、「綱引き」は、ギリシャのディピロスという劇作家が紀元前5世紀に作った喜劇が原作らしく、プラウトゥスはそれをローマ風にアレンジしたのである。
このことからうすうす分かるとおり、彼は、「政治」(アテネ)と「法」(ローマ)を連結する重要な・象徴的な人物であり、当然のことながら、木庭顕先生は彼の諸作品をクローズアップしている。
さて、上に引用した解説を読むと、「綱引き」と「与話情浮名横櫛」との類似点が明らかになるだろう。
すなわち、
・都市(アテネ、江戸)から離れた海辺ないし地方(キュレネ、木更津と鎌倉)が舞台。
・ヒロイン(パラエストラ、お富)は(元)芸者(ヘタイラ、深川芸者)。
・ヒロインは海で行方不明となる(遭難、身投げ)。
・ヒロインと親族(父、兄)との思いがけない再会。
・ヒロインは若い男(プレウシディップス、与三郎)といったん別れるものの、のちに結ばれる。
・ヒロインの出自・身分を示す物的証拠(小箱、臍の緒書)がストーリーを解決に導く。
・ハッピーエンド。
といった具合である。
私も、初めてこの戯曲を読んだ時は、「これは『お富さん』だな!」という強烈な既視感を覚え、
「紀元前5世紀のギリシャのフィクションが、江戸時代の日本で実際に起こるとは、お釈迦様でも気が付くめえ!」
と叫びそうになったのである。
もっとも、瀬川如皐 (3代目)がせっかく「鎌倉にある『源氏店』(げんじだな)」という設定にしたのに、春日八郎さん(あるいは多くの歌舞伎ファン)は思い切り、
「げんや~だ~な~」
(人形町に実在する、多くの妾が囲われている地域:「玄冶店」)
と歌ってしまうのだから、作者としては複雑な心境なのかもしれない。