こんな感じで、「新春浅草歌舞伎」は強烈な演目の連続だが、初台の「令和6年初春歌舞伎公演」はどうだろうか?
こちらも大差なく、最初の演目からして既にレシプロシテ原理が炸裂している。
目利き「紅白の梅が満開の早春の鎌倉八幡宮に、源頼朝の挙兵を石橋山で破った平家方の武将・大庭三郎景親(おおばさぶろうかげちか)と俣野五郎(またののごろう)兄弟が参詣に来ている。そこへ同僚の梶原平三景時(かじわらへいぞうかげとき)が、梅を観にやってくる。梶原の誘いで一献汲み交わすところに、青貝師(螺鈿細工の職人)六郎太夫(ろくろだゆう)と娘梢(こずえ)が訪ねて来て、大庭に家宝の刀を買ってほしいと頼む。大庭は梶原に刀の目利き(鑑定)を頼む。梶原は一目見て「天晴れ稀代の名剣」と賞賛する。」
二つ胴「大庭は大喜びで買おうとするが、俣野が横から口をはさみ、二人重ねて一刀に斬る「二つ胴(ふたつどう)」を試すべきだという。しかし、試し斬りにするにも、死罪と決まった囚人は剣菱呑助一人しかいない。すると六郎太夫がわざと嘘を言って娘を家に使いにやってから、自ら犠牲になるから二ツ胴の試し斬りをしてくれと言う。それを聴いて梶原が試し斬りを買って出る。戻ってきた梢が驚き嘆く前で、梶原は呑助と六郎太夫を重ねて斬るが、わざと失敗したように見せて、上になった呑助と、下になった六郎太夫の縛めの縄まで斬って止める。」
「魚屋宗五郎」と「熊谷陣屋」では、「子」や「娘」がéchange の客体とされ、「合法的に」殺されていた。
「梶原平三誉石切」においても同じく、ポイントは、「子」又は「娘」である。
青貝師:六郎太夫は、源頼朝再挙の軍資金調達のため、家宝の刀を相応の値段で売ろうとする。
そうでもしない限り、娘:梢は廓勤めをして300両を得なければならない。
ここでも「「イエ」のピンチを救うため、娘が「売られ」そうになる」という、お定まりのスキームが登場する。
だが、「二ツ胴」で成功しないと刀が売れないところ、犠牲となり得るのは、酔っぱらって主人を殺害した死刑囚:剣菱呑助ひとりしかいない。
そこで、六郎太夫は、「自ら犠牲になるから二ツ胴の試し斬りをしてくれ」とポトラッチを買って出る。
ここの「犠牲」の意味は要注意で、六郎太夫は、表向きは「二ツ胴」のための「犠牲」であるが、真実は梢を廓に出さずにしない(彼女を守る)ための「犠牲」になろうとしたのである。
それを見抜いた梶原は、わざと剣を止めて、六郎太夫の命を救う。
「熊谷陣屋」よりマシなのは、梢が死ななくて済むところぐらいで、後はやはりレシプロシテ原理満載のストーリーである。
しかも、江戸時代の観客は、「二つ胴」を喜んで観ていたらしい。
・・・それにしても、胴体が真っ二つに切れるというのは、「初春歌舞伎」にふさわしい演目なのだろうか?