「・・・情動とは、衝動と動機の機構や、報酬と罰の機構から一段進んだ段階であり、これは地球上の全生物が持つ本質的特徴だ。・・・
「恐れ」を例に取ってみる。恐れは、生物学的観点から最もよく研究された情動の一つだ。恐れの情動を構成する作用は、心臓、肺、腸で発生し、鎮痛作用をもたらす予備的行動が含まれる。恐れを感じるとき、人間の系全体が自動的に痛みへの反応を減少させるからだ。これには、コルチゾールを分泌するホルモン系で生じる作用も含まれる。これらすべての作用は、生物界全体に見られる。人間も恐れを引き起こす対象に対して、その場で停止するか、危険の源から逃げるかなど、特定の注意行動を起こす。これは、人間が恐れの情動を引き起こす対象とともに、それと関係が深い特徴を思い起こす特定の認知モードと戦略を持っているためだ。すなわち恐れという情動時に、望むか望まないかを特定の方法で考えることができるということにほかならない。・・・
現在、情動に関する研究で大きく進歩している領域の一つが、情動プロセスで、このプロセスには4段階ある。情動にかなう刺激の評価、情動の誘発、情動の実行、そして最終的に情動の状態形成に対して、脳のどの部分が応答するかは、各段階で異なる。情動にふさわしい刺激が主に大脳皮質で評価され、皮質や皮質下で誘発され、脳幹や視床下部など脳領域の主に皮質下で実行され、最後に情動状態が脳だけでなく全身にも発生する。・・・
それでは、人間は情動をどこで感じるのだろう。数年前、私たちは、情動は主に島皮質と呼ぶ大脳皮質のプラットフォームで感じると提唱した。今日この領域は、感情の処理装置として機能していることが明らかになっている。では、感情は大脳皮質のみで感じられるのかというと、答えはノーだ。脳幹内には感情の生成にとって重要な別の機構がある。これは大脳皮質がなく、島も全くない状態で生まれた患者の研究で分かる。水無脳症と呼ばれる状態にあるこの患者は、島皮質がないにもかかわらず、情動と感情を持っている。この例からも、感情体系を構成するレベルが複数あることが分かる。」
「情動」について考える場合、いちばん分かりやすいのが「恐れ」である。
これが、感覚装置→大脳(島皮質など)あるいは脳幹→身体というルートを通って発現するわけである(引用した講演では「感覚装置」には言及されていないが、おそらく自明なので省略されたものと思われる)。
「恐れ」は、デイヴ・アスプリーによれば、最重要のミトコンドリアの習性、すなわち「第1のF」である。
つまり、生存が脅かされる蓋然性が高い状況に対して、「逃げる」、「隠れる」、「戦う」のいずれかの行動を選択すべきことを指示する大脳あるいは脳幹からの身体への電気信号なのである。
これは、生命体の維持のためには必須な作用だが、機能不全を起こして、病気を発症することもある。
例えば、ささいなことに「恐れ」を感じる状態が続くと、恐怖症性障害という病気とされる。
医学的には、「大脳あるいは脳幹」→「身体」のプロセスに働きかけることが優先されるようで、薬物療法(抗不安薬や抗うつ剤の服用)が行なわれているようだ。
だが、素人考えでは、まず、「感覚装置」→「大脳あるいは脳幹」のプロセスで補正を行うことが有効なのではないかとも考えられる。
さあ、どうするか?