パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ジョージ・ハリスン、好きな2曲(3曲めが出てこない)

2023年02月01日 19時51分35秒 | 音楽

今日もビートルズ絡みのネタ

最後の方になって作曲能力も開花したジョージ・ハリスン
ちょっと地味な存在だったが、妹は顔が好き!といってファンだった
彼女は面食いで、スポーツ選手等も顔で選んでいた

ところでジョージ・ハリスンの曲の中で好きなのはどんなのがあるだろうか?
と考えてみると、2つの曲はすぐに出てくる
一つはホワイト・アルバムのなかにある「While My Guitar Gently Weeps」だ
このヴァージョンはエリック・クラプトンがギターを弾いていて格好いい曲だ
ポールのベースも下支えしてロックのテイストが濃い

While My Guitar Gently Weeps (2018 Mix)

だが聴いてみると思いのほか良いのが、この曲のアコースティックヴァージョン
歌詞の内容からはこちらのほうがあっているかもしれない

While My Guitar Gently Weeps (Anthology 3 Version)

どちらもそれぞれの味わいがあって甲乙つけがたい

ジョージ・ハリスンのもう一つの曲は「バングラディッシュ」だ
子どもたちが飢餓に苦しむ状況を知って、ジョージ・ハリスンが友達に呼びかけて
チャリティコンサートをした時のテーマとなる曲で、疾走感と切実感が半端ない
中間部のレオン・ラッセルのピアノもすごく良い

George Harrison - Bangla Desh

さて3曲目を選ぼうとすると、これがなかなかでてこない
「something」は有名だが、個人的には先に挙げた曲ほど惹かれない
ただポール・マッカートニーのベースはものすごく良い
この曲を聴く時はポールのベース中心に聴いてしまう

話は変わるが、何かテレビでジョージ・ハリスンそっくりの男性(多分息子)が
仲間と「While My Guitar Gently Weeps」の演奏をしている動画を見た
別の動画ではポール・マッカートニーとジュリアン・レノンだったかと
一緒に演奏した動画も見たような気が、、、

こんなのを見ると、ビートルズのメンバーの子どもたちが集まって、
オヤジたちの曲をやってくれないかな、、と思ってしまう
(音楽関係者の誰か言い出さないのかな)

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ピアノの音

2023年01月26日 20時09分50秒 | 音楽

指揮者の違いでオーケストラの音が違うのは事実だが不思議なことだ
ピアノの音も奏者でだいぶ音色が違うのも不思議だ
曲の解釈ではなく、音の響きが違うと感じたのは
イエルク・デムスと伊藤恵のベートーヴェンの32番のソナタを
宗次ホールで聴いたときのこと
伊藤恵の音は音自体、響きにどうのということはなかったが
イエルク・デムスの時は、これはいままで宗次ホールで聴いた
ピアノと同じなのだろうか?と思うほど違って聞こえた
だから中休みの時、舞台に近寄ってピアノの種類を確認したが
いつものスタインウェイピアノだった
イエルク・デムスの奏でる音はコクがあって柔らかで本当に良かった

自分には好きなピアニストの音と苦手なピニストの音がある
(演奏ではなくピアノ自体の音)
嫌いなのはリヒテル、アシュケナージ、ホロヴィッツ系の音が苦手だ
いずれも大家の評価のある有名な演奏家で
よく響いて迫力があって、、すごい音だなと思えてもどうも好きになれない
(これらの人はロシアのピアノの音なのだろうか)

逆に好きなのはクラウディオ・アラウの深々とした余裕のある音
バックハウスの大きく掴んであっさりと一音一音をくっきり出すも悪くない

有名だがさほど好きではないのがポリーニ
バリバリ弾いてすごいなとは思うが、何かを考えさせるような音ではない
(それでも最新録音のは良い音色だったが)
バリバリ弾ききっているがロシア系の鉄弦を鳴らすようなのとは違って
木の楽器を鳴らしている印象を持つ

ちょっと前まで好きだったり違和感を持ったりしたのがグレン・グールド
パラパラとスタカートされているような一音一音がくっきりした独特の音で
最初は面白い、、そのうち孤独でしんどい、、それからこういうのもありか
と感じ方も変化してきている

これらはレコードが聴けない今、手持ちのCDを聴いて再確認したこと
やっぱり相性というのはあるものだ
好き嫌いくらいは、巷の評判より自分の耳を信用していきたいものだ


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気になるのは「SEKAI NO OWARI」くらいなもの

2023年01月16日 09時46分39秒 | 音楽

歌(声)がないと聴くのがしんどいとか退屈だという知り合いがいた
一方で最近の自分は、歌があると面倒くさいと思い勝ちだ
ストーリー性のある歌とかカンタータとかオペラは
その内容を知ってこそ楽しめるものだとは思うが
老眼が進んだ今ではテキストを追うだけでストレスを覚えてしまう
だから歌がある音楽でも歌詞は気にせずに
音の変形とか流れとか掛け合いそのものを楽しんでいる

これはクラシックに限らずポップスでも同じで
大半の場合、歌詞はあまり気にしていない
だからビートルズで評価の高い「イン・マイ・ライフ」も
さほど好きな曲ではない(この曲は歌詞が評価されていると思う)

歌がなくても音楽は楽しめる
バッハのシャコンヌとかモーツァルトのピアノ協奏曲とかは
音同士が思索したり会話をしているようで、
歌がないだけに音楽だけに集中できる
音楽は実は音だけで自己完結する世界のような気もする

このように聴いていると最近の若い人が大勢で歌う音楽は
全部同じ様に聴こえるし、どこか幼稚な気がしてつまらない
それは年齢のせいで時代の空気を感じ取れないこともあるもしれない

だが少しだけ印象に残ったグループがあった
それは「SEKAI NO OWARI」というグループで
サーカスのピエロのような化粧をしているメンバーが居るようだ

と言っても彼らの「Habit」を聴いただけだが、これはなんとなく好きだ
そういえばちょっと前の米津玄師の「パプリカ」も不思議な音楽で好きな方だ
ということで、若い人たちの音楽が全部好きじゃないのではない

でも男も女も大勢集まっての視覚中心のトレンドを追いかけるだけの
音楽らしきものは、そろそろやめてほしいな、、とおっさんは思う

SEKAI NO OWARI「Habit」


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最近好きな音楽

2023年01月10日 19時39分03秒 | 音楽

今日はネタ切れなので、音楽の紹介を!
最近好きなのはドヴォルザークの弦楽四重奏曲「アメリカ」の第2楽章だ
メロディーメーカーとしての特徴がでた音楽で、どこか懐かしく
ついつい耳を傾けてしまう
この曲は何故かCDで聴いても不満は少ない

Dvořák String Quartet America 第2楽章 Lento

家で聴く気楽さは、好きな楽章をピックアップして聴けることだ
コンサートのように長い曲を通して聴かなくて済む

短い曲をもう一つ  大好きなモーツァルトから
【涙が止まらないほど泣けるMozart】Violin SONATA K.304 第2楽章(終楽章)



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ハッピー・クリスマス、ドレミの歌、エリナー・リグビー、エスカレーション

2022年12月26日 09時07分43秒 | 音楽

クリスマスに知り合いからラインでジョン・レノンの
「ハッピー・クリスマス」を送ってきた
この曲は個人的には彼の有名な「イマジン」よりも好きだ
その理由は案外はっきりしている
途中のコーラスによるおおらかな旋律と
メインのメロディとの掛け合いがとても気持ちいいからだ

対位法と言われる技術らしいがサウンド・オブ・ミュージックの
「ドレミの歌」でも同じようなところがある
ドミミ、ミソソ、レファファ、ラシシとリスミカルに歌う部分と
ドーソ・ラーファ・ミードーレと大きく歌うところだ
いつもこの掛け合いの部分は楽しくて心ウキウキする

ある旋律と違う旋律を同時に歌う
それが見事に調和するのは本当に心地よい
ジョン・レノンの同僚・ライバルのポール・マッカトニーの曲でも
「エリナー・リグビー」でやはりこの方法を使っている
最後の部分で、冒頭のメロディとメインのメロディを同時進行している

このように洋楽ではこうした方法は時々見られるが
日本の曲はあまりお目にかかったことがない気がする
わずかに、河合奈保子の「エスカレーション」で最後の方でやっていたが
今、パッと思いつくのはない

女の子が大勢みんなで歌うことの多い最近の音楽
大勢いることはその強みを生かして
ちょいと複雑な音楽的な仕掛けとか効果を狙ってもいいと思うが
声を合わせて歌うことが多すぎて、どうもつまらない
(もっとも自分が知らないだけで色々やってるかもしれないが)

人は情報の大半を視覚から得ている
だからショービジネスの歌の世界はダンスとか
ファッションとかの視覚的要素が大きく取り扱われ
音楽自体の持つ力は脇役のようになっている気さえする

確かに理知的な対位法の音楽ばかりだと面倒くさい
と思うかもしれないが、バランスよく音楽自体の楽しさも
味わえるような楽曲があると良いなと思う

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フジコ・ヘミング&ウィーン室内管弦楽団のコンサートを聴いて

2022年12月13日 10時42分03秒 | 音楽

名古屋に向かう列車の車窓から、流れゆく風景をぼんやりと眺めていると
過去のことや後悔、不意に訪れる発見などが頭に浮かび自分の中に沈潜する
電車が好きなのはこうしたボーッとした時間が持てるからだ

音楽(生の演奏)を聴いている時もいろんなことが頭に浮かぶ
過去に聴いたことのある演奏との違い
作曲家の思いへの空想、全く関係のない連想
演奏はぼんやりではなく集中しているが、脳内は自分でコントロールできず
まるで夢のように勝手に連想が羽ばたく

昨日、本当に久しぶりに本格的なコンサートにでかけた

フジコ・ヘミングとウィーン室内管弦楽団の組み合わせのコンサートだ

フジコ・ヘミングは初めて聴く演奏家で、この人の演奏を聴きたいと言うより
とにかく巣ごもり状態から脱出したい気持ちが強かった
だからというわけではないが、この日のプログラムには気をとめなかった
確か前半がモーツァルトの21番のピアノ協奏曲とラ・カンパネラ
後半がベートーヴェンの交響曲第7番の認識で、
会場で配られるプログラムは、あとでゴミになるのでもらわずにいた

隣の席の人がフジコ・ヘミングは最近は脚が悪くて
付き添いが必要になっていると同行した人に説明していた
確かに(その人の言うように)おぼつかない足取りでピアノまで歩いた

さあ、ハ長調の音楽が始まる!と準備していると
なんと音楽は予想したものと違うものが始まった
ピアノ協奏曲の21番は21番でも第1楽章ではなく第2楽章だ
この楽章は映画音楽にも使われたこともあり、綿々とした情緒のある曲だ
2楽章だけなのか、、不思議な思いで聴いていると
この曲は情緒的だけでなく、もっと別の音楽的な仕掛けとか
完成度とか充実があるように感じられた

でも不思議なことにピアノの音は、左手の伴奏を伴った音楽より
右手の単音が印象に残った
モーツアルトの22番とか23番のゆったりした楽章は
ピアノの単音(メロディ)だけで聞かせる傾向にあるが
そのメロディに如何に感情とか思いを乗せることができるかが
奏者の腕の見せどころのような気がした
それは磨かれ抜いた音で、その音を出すために
どれだけの時間がかかったのだろう
音はフジコ・ヘミングの心象風景のような音だった

気なるのは次がどの曲になるのか、という点で
聴衆へのつかみは良かった演奏が終わると
始まったのは一曲目の余韻を継続した曲でゆったりした音楽だ
聴いたことがある、、それはベートーヴェンのピアノ協奏曲5番の第2楽章だった
そうか、気分的にまとまりのある曲でつなぐプログラムか
その方法もありだな、、と妙に納得した

家ではレコードで好きな楽章を抜き出して聴いたりするし
昔のコンサートでは全楽章を再現するより
こうした部分部分を抜き出して演奏されることが多かったらしい
少なくとも気分の連続性はあって、こうしたプログラムは
今後増えるかもしれないと思ったりした

皇帝のあとは、やはりゆったりした音楽で
前の2曲よりは新しい時代の音楽かな、、、と感じさせる曲
後でプログラムをもらって曲名を確認しようとした
(ショパンのピアノ協奏曲第一番の第2楽章だった)

次はピアノ・ソロが続いた
リストのハンガリー狂詩曲第2番
ドビッシーの月の光
リストのラ・カンパネラ
シューマントロイメライ

フジコ・ヘミングはマイクで
足腰が悪くなって上手く弾けないかもしれないと不安を口にしたが
ハンガリー狂詩曲ではちょっとそんな部分が合ったような、、
でもそれは大きなキズではなかった(自分にとっては)
それよりも中間部分だったかには、彼女の心象風景のような懐かしさと
それらと近いうちの別れを覚悟されるような音色・音楽が聞こえた
これは超絶技巧でしられるラ・カンパネラでも感じられたことで
奏される鐘の音は華やかと言うよりはどこか寂しい音だった
鐘は生からの別れの音のように自分には聞こえた

ドビッシーの雰囲気のある聴きやすい「月の光」は、
それでも途中で前奏曲を彷彿とさせる独特の和音(音色)が瞬間流れた
こうした発見が生は面白い

後半の部はベートーヴェンの7番
困ったのは、第1楽章のテーマは年末ジャンボ宝くじのCMに使われているので
その特徴のある音楽が始まると「ジャーンボ、ジャーンボ」
とあのCMが脳内に聞こえて仕方なかったことだ
ここから抜け出すにはちょいと時間がかかった

ベートーヴェンのゆったり目の音楽は美しい(7番は第2楽章)
モーツアルトの美しさとは違う味わいの音楽で
確かに人には精神と呼ばれる分野が存在すると感じさせるものだ

第3楽章と第4楽章は、ベートーヴェンらしいエネルギーに満ちた音楽で
聴いていて興奮する音楽だ
この曲はレコードでフルトヴェングラーの凄まじい演奏
(いつも聴いたあとはすごいな!と声が出てしまう)が
頭にこびりついているので、あの部分はどう演奏するか、、
効果的か、、音色はどうか!とどうしても比較してしまう

でも生演奏は良い
室内オーケストラの小人数のオーケストラでも迫力は十分すぎるほど
最後の音の後は、聴衆の興奮気味の拍手が続いた

ということで久しぶりのコンサートは、大満足
費やした金額は安くはなかったが
これを高いとか安いとかで判断するのは難しい






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ブルックナーの交響曲をオルガンで演奏したCD

2022年11月17日 14時09分38秒 | 音楽

2020年はベートーヴェンの生誕250年で、コロナ騒動がなかったら
きっと彼に関するコンサートなどが多く開催されただろう
それが無くなったのは残念だった

2024年はマニアしかウケない(?)ブルックナーの生誕200年だ
やはりいろんな企画が計画されていて
その中には2024年までに交響曲全曲をオルガンで演奏する試みがあり
その一部がCD化されている

ブルックナーはずっと長い間、教会のオルガニストを勤めており
音楽の発想自体がオルガン的ともいわれているから
実際にどんな響きになるのか興味深い

そこで手始めに大好きな2番の交響曲のオルガン演奏のCDを手に入れた


交響曲とは別の曲も入っており、6つのトラックに分かれていたが
まず聴き始めたのは8番のアダージョと同じくらい好きな第2楽章
この楽章は田舎の風景を思わせる柔らかな音楽で
オルガンでもその雰囲気は再現されている
というよりオーケストラよりもっと柔らかい音色で
オルガンのストップの選択が曲とマッチして、オーケストラよりもいい感じ

オルガンのことはよく分からないが、ストップの選択と言うよりは
オルガン自体の音色だったかもしれない
とにかく柔らかな音色で、バッハのトッカータとフーガニ短調で
イメージされる音とはぜんぜん違う

この楽章は気に入ったが他の楽章はイマイチの印象だった
それはオルガン音楽の録音の難しさにあるかもしれない
オルガンのフォルテは凄まじい音量なので
それを基準に録音レベルを決めると、ピアノの部分は極めてか細い音になる
つまりは大音量と小音量の振れ幅が大きすぎるので
丁度いいレベルの録音ができなかったのではないか、、と思ってしまった

それ思うと、オルガンの音楽は現場で聴くしかないのかもしれない
オルガン演奏で聴きたい彼の交響曲は5番、7番、8番、9番だ
4番も6番も面白いかもしれない
名古屋栄の芸術劇場コンサートホールにはオルガンがあるので
この企画をやってほしいと思うが、、、聴衆の数を想像すると無理かな



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演歌歌手ではない人が歌う「津軽海峡・冬景色」

2022年11月15日 09時27分03秒 | 音楽

10年ほど前の1月、函館にいく途中、雪の青森駅で列車を乗り換えた
条件反射のように思い出したのが「津軽海峡・冬景色」の歌詞で
ついスマホで青森の字が入った看板と雪景色の写真を撮った

音楽は不必要ににジャンル分けされている
自分はクラシック音楽が好きだが、高尚だからと思ったことはない
単純に楽しめるからで、サッカーが好きな感覚と大差ない

昔、オールスターかくし芸大会という番組が正月にあった
そこで森進一が歌うプッチーニの「ある晴れた日に」を耳にした時
ベルカントで歌われる本格的な歌よりも心情的にフィットして
こういうもの良いな、、と感じたものだった

クラシック音楽をポピュラーの歌手が歌って楽しめるのは
フィリッパ・ジョルダーノの歌うトスカの中の「愛に生き歌に生き」で
これもマリア・カラスの凄まじい歌唱とは別の良さがあった

ところで、はYoutubeでは「津軽海峡・冬景色」をいろんな人が歌っている
興味を引いたのがクラシックのソプラノ歌手が歌うこれ

プロのソプラノ歌手が歌う「津軽海峡・冬景色」歌 野々村彩乃/pf 乾将万

少し慣れないと違和感を感じるかもしれないが、その世界を受け入れると
そういう表現もあるのか、、と驚きを感じる
この「津軽海峡・冬景色」は、ポピュラーの歌い手さんも歌っていて
なかなか良いのがアンジェラ・アキさんの歌うこれ

アンジェラ・アキ 『津軽海峡・冬景色』

車の中でiPodに入れたこの音楽を流すと、母は「変な歌い方!」と口にする

音楽は本当に多様な表現があるものだと思う
自分の音楽の好みは雑食系だが、それでも年齢のせいかメロディに変化のなく(?)
繰り返しの多いラップがどうも苦手だ
それ以外にも、みんなで同じメロディを歌う大勢の女の子の集まりの音楽も苦手だ
なんだか、ちょっとバカにされてる気がしてしまうのは偏屈すぎるか


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涙した音楽

2022年11月12日 09時30分20秒 | 音楽

音楽を聞いて涙を涙したことのある人は、少なくないと思われる
不意に辛かった過去を思い出させられたり
憧ればかりが胸に溢れていた時代を懐かしんだり
理由もなくただただ熱いものが流れるとか
音楽の感情に訴える力というものは不思議だ

レコード音楽を聴いて涙したことのある曲は3曲ある
その一つが、猛烈な感動を覚えて、その感動が一時の単なる錯覚だったと
感じてしまう怖さ故に聴き直すことができない曲で
ベートーヴェンのミサ・ソレムニスのアニュス・デイだ
暗い曲なのか、深い音楽なのか、ベートーヴェンの得意ではない声楽曲だが
「神よ、憐れみ給え」と繰り返す歌詞も相まって、彼の晩年の心情を思うと
人の達する境地の高さに驚く
以下の動画では欠けてしまっているが、次の部分に移る経過の部分の
ヴァイオリンパートは本当に泣けてきた
(そのヴァイオリンパートはトリスタンとイゾルデの
 二幕のブランゲーネの警告のそれと同様自分が好きな部分だ)

L. V. Beethoven ~ Agnus Dei

アニュス・デイはバッハのロ短調ミサでも印象に残る音楽で
アルトの深々とした声と、伴奏のヴァイオリンパートが
ここでも声以上に活躍する

バーバーの弦楽のためのアダージョはアニュス・デイの歌詞をつけて
歌われることもあるようで、共通して深い祈りの音楽となっている

冒頭を聴いた瞬間にいきなりノックアウトパンチを食らって
涙したのはバッハのロ短調ミサのキリエだった
現代の演奏では割とあっさり歌われることが多いようだが
自分が聴いたリヒターの演奏の熱量とか濃厚さは
まだ感性豊かで、だが分析的でない頃の自分の心の奥に響いた

J.S. Bach: Mass In B Minor, BWV 232 / Kyrie - Kyrie eleison (I)

そしてもう一つの曲はフォーレのレクイエムの「楽園にて」だ
この曲は猛烈に感動したと言うより、気がついたら熱いものが
頬に流れていた

Faure Requiem/7 - In Paradisum (楽園にて)

音楽は現在進行系で時を楽しむ芸術だが
記憶を楽しむ芸術でもあるような気がする
以上の三曲は涙した時の思い出が失せないどころか
ますます、その記憶は美化されつつある

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マーラーの音楽と村上春樹

2022年10月18日 09時05分24秒 | 音楽

自分が参加しているSNSのグループにブロムシュテットの指揮した
マーラーの9番が名演だったとの投稿があったので
しばらく聴いていないこの曲のレコードを引っ張り出して聴いてみた

マーラーの弟子(?)のワルターの指揮した演奏だ
この曲は高校時代にはよく聴いた
ただし、第1楽章だけだ
ベルクが言ってるようにこの楽章は傑作だと思うし
あとの楽章はいらないとまで思ったこともある
一般的な評価では第4楽章のアダージョが生との別れを感じさせるイメージで
感涙とまでの声が挙がることが多く、ブロムシュテットの場合もそうだったようだ

この曲を聴くといつもマーラーの音楽は長編小説のようだと思う
音楽自体の内的な戦いというよりも、音で表現されるドラマが目の前で
展開されるような気がする
昨日は「村上春樹の小説のようだ」と不意に頭に浮かんだ
そして、それは的確な例えだと妙に納得してしまった

一見深いようで、実は結構エンタメ的な要素の多い作品
ウケと切実な表現意欲のせめぎ合い
マーラーの音楽は、それを感じてしまう(村上春樹も)
1楽章と4楽章だけを聴いたが高校時代のようには圧倒されることはなかった

次に同じワルターの指揮のブルックナーの9番を聴いてみた


これは第3楽章だけ聴いた
マーラーの9番の第4楽章とブルックナーの9番の第3楽章は始まりがどこか似てる
と言ってもすぐに彼ら独自の世界に移るのだが、ブルックナーの音楽は
ウケ狙いは少しもなく、彼自身の世界観に終始する
(マーラーは感情的・情緒的でブルックナーは音に帰依する感じ)
マーラーの指揮者として有名なワルターはブルックナーをどのように指揮するか
それが興味の一つだが、昨日不意にワルターはブルックナーを
マーラーの曲のように指揮していると感じた
それは有名な「生からの別れ」と名付けられたチューバのところだったような気がするが
違っているとしても、そう感じたのは確かだ

マーラーが村上春樹と似てるなら、ブルックナーの音楽はどの小説家に似てるのだろうと想像してみた
読みやすい作家は思い浮かばず、むしろ独自の世界観の難しそうな、しかし一旦その世界に入ると
抜け出せないような作家が似てるのではないか、、などと勝手に想像した
(ドストエフスキーかな、、、)

ということで、いろいろ勝手に思うことあれこれ
そして改めて確認したのは自分はブルックナーが好きだな、、ということ
世間のアンケートでは嫌いな作曲家の一番をキープし続けているらしいブルックナー

ヴェルデヴェーレ宮殿内の彼の最期の家を訪れた時は、そこには人影は見えなかった
可愛そうなブルックナー
でも2024年には彼は生誕200年を迎える
それまでに彼の評価は変わっているだろうか?


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