残念ながら村上春樹はノーベル賞を取れなかった
発表前の本屋さんには平積みした彼の本が
受賞の期待をあおっていたが、、、
自分は「ノルウェーの森」だけ読んだ事があって
その時は、それなりに面白かったが
なぜか柴田翔の「されどわれらが日々」を思い出して
久々に引っ張り出して読んだものだった
ところで、どの国の人々も一般的には
外国の作品を読むには
翻訳を介さなければならないが
外国語から日本語
日本語から外国語
いずれもどのくらいニュアンスが伝わるのだろうか
自分は日本語に翻訳された作品を読んだだけだが
それらは母国語で読んでいる人たちと
同じ感覚で読めているのだろうか
漢詩の読み下し文は中国語の音感から
感じるものとはどこか違うような気がするのだが
(日本語のほうが厳しい音感みたい?)
意味だとか内容はどうにか伝えることは出来るかもしれない
しかし母国語で上手いなあと感じるリズムや描写は
翻訳して伝わるのだろうか
といっても自分らは翻訳されたものを
読むしか手はないが
(英語なら辞書を使えば何とかなるかもしれないが面倒だ)
昔、よく読んだヘッセは高橋健二訳だった
ドストエフスキーは江川卓(?)
それらは圧倒的に感銘を受けたが
最初違う人の訳だったら
違った感想をもったのではないだろうか
それでも、翻訳された文章でも
ナボコフは文章が上手いなとか
ヘッセは喚起力のある文章だとか
ウンベルト・サバの詩は
それなりの世界を明らかに実現している
芭蕉の俳句を英訳したのがあるらしいが
英語で読むとどんな気がするのだろう
(もっとも原文を知っているので
初めて英語で知ることになる人と
同じ経験をすることは出来ないが)
秋が深まりつつある
夜が長くなって読書によい季節になってきた
しかし、なんともならないのは情けない目のやつだ
老眼で小さな字が読めない
眼鏡をかけるのが面倒くさい
まだまだあった、
根気や体力が低下しているし
人の名前が覚えられないし
次の日続きからはじめようとしても
前の日の話を詳しくは覚えていられない
しかし、やっぱり本は好きだな
自分の好きな時間に好きなペースで
取り組むことが出来るから
だが「資本論」
最近少しも進んでいない
やっぱり挫折しそう!
それとも無理やり最後のページまで
文字だけを追ってみる?
手ごたえありすぎだ!
発表前の本屋さんには平積みした彼の本が
受賞の期待をあおっていたが、、、
自分は「ノルウェーの森」だけ読んだ事があって
その時は、それなりに面白かったが
なぜか柴田翔の「されどわれらが日々」を思い出して
久々に引っ張り出して読んだものだった
ところで、どの国の人々も一般的には
外国の作品を読むには
翻訳を介さなければならないが
外国語から日本語
日本語から外国語
いずれもどのくらいニュアンスが伝わるのだろうか
自分は日本語に翻訳された作品を読んだだけだが
それらは母国語で読んでいる人たちと
同じ感覚で読めているのだろうか
漢詩の読み下し文は中国語の音感から
感じるものとはどこか違うような気がするのだが
(日本語のほうが厳しい音感みたい?)
意味だとか内容はどうにか伝えることは出来るかもしれない
しかし母国語で上手いなあと感じるリズムや描写は
翻訳して伝わるのだろうか
といっても自分らは翻訳されたものを
読むしか手はないが
(英語なら辞書を使えば何とかなるかもしれないが面倒だ)
昔、よく読んだヘッセは高橋健二訳だった
ドストエフスキーは江川卓(?)
それらは圧倒的に感銘を受けたが
最初違う人の訳だったら
違った感想をもったのではないだろうか
それでも、翻訳された文章でも
ナボコフは文章が上手いなとか
ヘッセは喚起力のある文章だとか
ウンベルト・サバの詩は
それなりの世界を明らかに実現している
芭蕉の俳句を英訳したのがあるらしいが
英語で読むとどんな気がするのだろう
(もっとも原文を知っているので
初めて英語で知ることになる人と
同じ経験をすることは出来ないが)
秋が深まりつつある
夜が長くなって読書によい季節になってきた
しかし、なんともならないのは情けない目のやつだ
老眼で小さな字が読めない
眼鏡をかけるのが面倒くさい
まだまだあった、
根気や体力が低下しているし
人の名前が覚えられないし
次の日続きからはじめようとしても
前の日の話を詳しくは覚えていられない
しかし、やっぱり本は好きだな
自分の好きな時間に好きなペースで
取り組むことが出来るから
だが「資本論」
最近少しも進んでいない
やっぱり挫折しそう!
それとも無理やり最後のページまで
文字だけを追ってみる?
手ごたえありすぎだ!