パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

一文字有り無しで、違うニュアンス

2008年09月10日 22時18分53秒 | Weblog
「そうだ 京都、行こう。」
ご存知JR東海の京都観光キャンペーンのキャッチコピー
もう長いこと使われているが自分は今年のGW
東京駅でしっかりポスターを見るまで
「そうだ 京都に 行こう」
だと思っていた

本当は「に」が入っていなかったのだ
ずっと自分中では「に」が入っていたので
入っているほうがしっとりしたリズムがあっていい
と思ったりしたが
確かにポスターに文字として書かれたら
「に」の字は邪魔かもしれない
(ちょっと説明的過ぎて)

だが、音にすると「に」があったほうが
自分にはブチブチ切れなくて心地よく思える

もう少し考えてみると
「に」が無いほうは
そうだ 「行こう」 という動詞にかかるが
「に」があるほうは
「京都」という場所を強調しているように感じられる

ま、どっちでもいいことなんだろうけれど
作った人たちは一生懸命考えたのだろう

ところで最初の一行でノックアウトされ
その静かな叙情的な世界に引き込まれてしまった
北杜夫の「幽霊」
ここでも自分の記憶はずっと違ったままだった

魅力的な第一行は
「人はなぜ追憶を語るのだろうか」
が正しいのだが、自分の記憶は今度は一文字抜けて
「人はなぜ追憶を語るのだろう」
だと思っていた。つまり最後の「か」が抜けていた

たいした問題ではないけれど
その本を読んだ時は
「か」がないほうが
静かなトーンの世界に入りやすかったのか
かってにそう読んでいた

それにしても北杜夫
「幽霊」「木霊」と続く最初の予定では、
4部作になるはずのシリーズ作品は
結局なさそうだが残念な気がしてならない
もっともあのような作品は若い時しか書けない
種類のものだろうが
コメント
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