連休後半 今日はこどもの日
天気は予報通り今にも雨が振りそうな様子
晴れていれば心ウキウキして自然と嬉しかったり
活動的になったりして
子ども日を体全体で感じられるところなのだが
どうもこの天気ではそんな気分になれない
こんな薄暗い日はミステリーを読むのにふさわしい
子供の頃は、2段ベッドの下の自分の寝床で
ルパンやポワロの話を想像力たくましく
寝転がって読んだものだ
残念ながら今は興味あるミステリーが
手もとにないが、晴耕雨読の言葉通り
読書モードになれているので本の話を少し
しかし、自分の記憶力のいい加減さには
少しがっかりする
いやがっかりするどころか情けなくなる
今読みかけの「音楽の聴き方」岡田暁生著
この本は以前に読んだはず
なのに何も覚えていない
特に何かを覚えようとして読んだりしていないので
覚えていなくてもさほど気にしないし
なにか一つでも覚えていれば
それでいいやとか、いつか何かも役に立つだろう
くらいな感じで流しているが
再読してこれだけ何も覚えていないと流石に少しばかり嫌になる
音楽は、する、聴く、語るの3方向からのアプローチがあって
日本では語るということへの関心、方法論が欠けている(?)
と問いかける
この本で展開される過去の人達の音楽に向かう姿は
本当に興味深い
それは聴き方、語り方の話とは関係ないところに関しても
言えることで今回の再読で一番気になったところは
音楽自体の魔術的な体験の深さについて
三島由紀夫は音楽体験の人に与える影響の凄まじさを語り
また別の人物は音楽体験は感情を超えたところの
もしかしたら形而上学上の体験として存在すると公言する
そこで思わず納得してしまったのが
自分の音楽に関する関心の方向性
今でも覚えているが自分が音楽に興味をもったのは
多く人のようにベートーヴェンの運命から
河出書房からレコード付きのクラシックの全集が発売されることになって
その第一弾がベートーヴェン
しかも1号は特価でお値打ち 中学生だったから
このような本の購入に家族も抵抗感なかった
ある日のことクラブの練習から帰って
卓上のステレオで運命の全曲を聴いた
普通は有名な聴き所だけで終わるのが
その日はなぜか最後まで聴いてみようという気になって
ながら聴取ではなく、まじめにスピーカから流れる音に
精神を集中した(ようだ)
聴き終わった後
それは感動という言葉では表しきれない体験が
そこでなされた実感が強く心に残った
苦悩から歓喜へ その過程に感動したのではない
音楽の感動が多くの人にそのように作用するように
自分も演奏をしてみたいとか作曲してみたい
と思ったわけでもない
ただ、そこに見えないけれど確かに存在する世界がある
この世界はとてつもなく深くて豊なもの
とにかく言葉にはしづらいがこのような実感が
圧倒的な体験として刻まれた
だからこそ、この本で紹介される音楽の魔術的な
原始的な力の部分の著述は無条件に信じられる
音楽という記憶を前提とした芸術
様々な方法論から生み出される形式上の秩序とか
効果的な和声とか音楽のことを細かくしていけば
それぞれの分野で専門的になれば、より深い聴き方もできるのだろうけれど
自分は「人間が考えだしたものの存在としての音楽」に
ずっと興味があったのだと気がつく
いや、人間の考えだしたもの、感じている感情にこそ
関心があったのだと思う
人間の考えだしたもの、
ミステリーや法律、哲学、詩、哲学、科学、政治など
だがそれは実社会上のノウハウではなく
あくまでの人間の頭の中で考えたことの範囲に収まっている
つまりは理想主義者というより
夢見がちな存在としての自分
確かにたくましい生命力をもった同時代の人物と比べると
今まで自分は何をしてきたのか
と思わないこともないが
それでもこの歳になるまで相変わらず
人間の考えてきたことに関心があることを続けていると
これもまた間違いなく自分の個性なのだと思う
そしてこの個性の形成のきっかけとなったのが音楽
ベートーヴェンの運命
だからこそ、自分の疾風怒濤の時代
ベートーヴェンんのお墓に行ったのだ
あなたがここに連れてきたのです
その前で自分は冷静にいられなかった
どうしようもなく涙が溢れてきた
しかし、37年後
つまり去年再び訪れた時は
何故か妙に客観的な存在でしかなかった
自分は確かに何かを失い
その分何かを得たのだろう
しかし、一体何を得たのか?
趣味は「人間の考えたことを考えること」
それを思い出させてくれるきっかけとなった
「音楽ん聴き方」
これからは新しい本ばかりではなく
鴨に読んだ本を読み返すこともしたほうがいいかもしれない
天気は予報通り今にも雨が振りそうな様子
晴れていれば心ウキウキして自然と嬉しかったり
活動的になったりして
子ども日を体全体で感じられるところなのだが
どうもこの天気ではそんな気分になれない
こんな薄暗い日はミステリーを読むのにふさわしい
子供の頃は、2段ベッドの下の自分の寝床で
ルパンやポワロの話を想像力たくましく
寝転がって読んだものだ
残念ながら今は興味あるミステリーが
手もとにないが、晴耕雨読の言葉通り
読書モードになれているので本の話を少し
しかし、自分の記憶力のいい加減さには
少しがっかりする
いやがっかりするどころか情けなくなる
今読みかけの「音楽の聴き方」岡田暁生著
この本は以前に読んだはず
なのに何も覚えていない
特に何かを覚えようとして読んだりしていないので
覚えていなくてもさほど気にしないし
なにか一つでも覚えていれば
それでいいやとか、いつか何かも役に立つだろう
くらいな感じで流しているが
再読してこれだけ何も覚えていないと流石に少しばかり嫌になる
音楽は、する、聴く、語るの3方向からのアプローチがあって
日本では語るということへの関心、方法論が欠けている(?)
と問いかける
この本で展開される過去の人達の音楽に向かう姿は
本当に興味深い
それは聴き方、語り方の話とは関係ないところに関しても
言えることで今回の再読で一番気になったところは
音楽自体の魔術的な体験の深さについて
三島由紀夫は音楽体験の人に与える影響の凄まじさを語り
また別の人物は音楽体験は感情を超えたところの
もしかしたら形而上学上の体験として存在すると公言する
そこで思わず納得してしまったのが
自分の音楽に関する関心の方向性
今でも覚えているが自分が音楽に興味をもったのは
多く人のようにベートーヴェンの運命から
河出書房からレコード付きのクラシックの全集が発売されることになって
その第一弾がベートーヴェン
しかも1号は特価でお値打ち 中学生だったから
このような本の購入に家族も抵抗感なかった
ある日のことクラブの練習から帰って
卓上のステレオで運命の全曲を聴いた
普通は有名な聴き所だけで終わるのが
その日はなぜか最後まで聴いてみようという気になって
ながら聴取ではなく、まじめにスピーカから流れる音に
精神を集中した(ようだ)
聴き終わった後
それは感動という言葉では表しきれない体験が
そこでなされた実感が強く心に残った
苦悩から歓喜へ その過程に感動したのではない
音楽の感動が多くの人にそのように作用するように
自分も演奏をしてみたいとか作曲してみたい
と思ったわけでもない
ただ、そこに見えないけれど確かに存在する世界がある
この世界はとてつもなく深くて豊なもの
とにかく言葉にはしづらいがこのような実感が
圧倒的な体験として刻まれた
だからこそ、この本で紹介される音楽の魔術的な
原始的な力の部分の著述は無条件に信じられる
音楽という記憶を前提とした芸術
様々な方法論から生み出される形式上の秩序とか
効果的な和声とか音楽のことを細かくしていけば
それぞれの分野で専門的になれば、より深い聴き方もできるのだろうけれど
自分は「人間が考えだしたものの存在としての音楽」に
ずっと興味があったのだと気がつく
いや、人間の考えだしたもの、感じている感情にこそ
関心があったのだと思う
人間の考えだしたもの、
ミステリーや法律、哲学、詩、哲学、科学、政治など
だがそれは実社会上のノウハウではなく
あくまでの人間の頭の中で考えたことの範囲に収まっている
つまりは理想主義者というより
夢見がちな存在としての自分
確かにたくましい生命力をもった同時代の人物と比べると
今まで自分は何をしてきたのか
と思わないこともないが
それでもこの歳になるまで相変わらず
人間の考えてきたことに関心があることを続けていると
これもまた間違いなく自分の個性なのだと思う
そしてこの個性の形成のきっかけとなったのが音楽
ベートーヴェンの運命
だからこそ、自分の疾風怒濤の時代
ベートーヴェンんのお墓に行ったのだ
あなたがここに連れてきたのです
その前で自分は冷静にいられなかった
どうしようもなく涙が溢れてきた
しかし、37年後
つまり去年再び訪れた時は
何故か妙に客観的な存在でしかなかった
自分は確かに何かを失い
その分何かを得たのだろう
しかし、一体何を得たのか?
趣味は「人間の考えたことを考えること」
それを思い出させてくれるきっかけとなった
「音楽ん聴き方」
これからは新しい本ばかりではなく
鴨に読んだ本を読み返すこともしたほうがいいかもしれない