昔、自分が大学生だった頃、
村上春樹のノルウェーの森の舞台のように
(小説ではその部分はあまり関係なかったが)
学生運動が吹き荒れて、デモ、大衆団交、休講などが
頻繁にあった
その活動的な学生の批判する一つに
産学協同反対というのがあった
大学の研究が産業界の補助を受けて行うのは
結局企業の手下となるのでよろしくない
というものだ
しかし40年ほどたった今
この産学協同は当たり前の効率のいい
むしろ進めるべき施策となっていて
誰もが(?)疑問を挟む余地はないように見える
その他、覚えていることの一つに
当時の学生たちも一種の熱にうなされて
米帝国主義うんぬんとの言葉を連発していた
事がある
ある時、ある連中が授業を休講にして
急遽会議にしてしまった事があった
その時になにか日本が輸出するのは帝国主義の
片棒をかつぐから認めることはできない
といっや内容のことを声を大きくして反していることがあった
自分はノンポリで活動には無関心の人間だったが
それでも、日本みたいに資源がない国は製品を輸出して
お金を稼がねばなんともならないし、それが悪いこととは
どうも理解できないが、、、、
などといったことを質問したことがあった
それに対する明確な答えは得られなかったと記憶しているが
最近レーニンの帝国主義論を読み返すと
考えることがあった
レーニンにいう帝国主義はベトナム戦争に乗り込んだ
アメリカの姿勢というのではなく
資本が集中すると必然的に一種の植民地政策をするのが
人間の性質 これを帝国主義といい、問題というもの
そこでまたまた考えた
産学協同は今や当たり前
経済のグローバル化も当たり前
しかし、この経済のグローバル化はその行き着くところの
歴史を見ると甚だしく好ましいものとは思えない
産学協同とは違って今度は当たり前のようになっている
グローバル化も少し考えないといけないかもしれない
(この流れを停めることはできないかもしれないが
アクセルばかりではまずい。なにかブレーキを踏むことも必要ということ)
帝国主義論
スターウォーズみたいな武力をベースにした帝国
というのではなく、
移動が瞬時に可能な金融資本の集中による
必然の到達点としての帝国主義
過去の人のレーニンだが
帝国主義論は今読んでも何時のことの報告かと
空恐ろしい気がするところがある
村上春樹のノルウェーの森の舞台のように
(小説ではその部分はあまり関係なかったが)
学生運動が吹き荒れて、デモ、大衆団交、休講などが
頻繁にあった
その活動的な学生の批判する一つに
産学協同反対というのがあった
大学の研究が産業界の補助を受けて行うのは
結局企業の手下となるのでよろしくない
というものだ
しかし40年ほどたった今
この産学協同は当たり前の効率のいい
むしろ進めるべき施策となっていて
誰もが(?)疑問を挟む余地はないように見える
その他、覚えていることの一つに
当時の学生たちも一種の熱にうなされて
米帝国主義うんぬんとの言葉を連発していた
事がある
ある時、ある連中が授業を休講にして
急遽会議にしてしまった事があった
その時になにか日本が輸出するのは帝国主義の
片棒をかつぐから認めることはできない
といっや内容のことを声を大きくして反していることがあった
自分はノンポリで活動には無関心の人間だったが
それでも、日本みたいに資源がない国は製品を輸出して
お金を稼がねばなんともならないし、それが悪いこととは
どうも理解できないが、、、、
などといったことを質問したことがあった
それに対する明確な答えは得られなかったと記憶しているが
最近レーニンの帝国主義論を読み返すと
考えることがあった
レーニンにいう帝国主義はベトナム戦争に乗り込んだ
アメリカの姿勢というのではなく
資本が集中すると必然的に一種の植民地政策をするのが
人間の性質 これを帝国主義といい、問題というもの
そこでまたまた考えた
産学協同は今や当たり前
経済のグローバル化も当たり前
しかし、この経済のグローバル化はその行き着くところの
歴史を見ると甚だしく好ましいものとは思えない
産学協同とは違って今度は当たり前のようになっている
グローバル化も少し考えないといけないかもしれない
(この流れを停めることはできないかもしれないが
アクセルばかりではまずい。なにかブレーキを踏むことも必要ということ)
帝国主義論
スターウォーズみたいな武力をベースにした帝国
というのではなく、
移動が瞬時に可能な金融資本の集中による
必然の到達点としての帝国主義
過去の人のレーニンだが
帝国主義論は今読んでも何時のことの報告かと
空恐ろしい気がするところがある