パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

金閣寺

2014年08月27日 19時43分29秒 | 
なかなか前に進まないのが三島由紀夫の金閣寺

図書館以外の本で、久々に購入した小説
わざわざ購入したのだから読み気はあったのだが
どうも途中下車してしまう
読む気が持続しない

確かに饒舌な表現力、語彙も知識も豊富
たいした推敲もなく書き進められる力は
天才的なものと思われる

しかし、簡単に言ってしまうと波長が合わない
彼の生み出そうとしているイメージ、世界は
そうした世界もあるとは認めたとしても
どうも美しかったり、特別なものとは自分には思えない

印象的なエピソードがあってもどこか人工的
つくりもの的な感じがして
それが自分の読書への推進力にはならない

人工的なところが気に入らないのは事実だが
もっと気に入らないのは、多分、物語を語っている
つまり物語を支配している書き手の人格的なもの

実際に会えばそんなことはないかもしれないが
本で判断するだけでは、この人とは合いそうにない

もっとも自分に合わないなと感じたのは三島由紀夫だけではない
若い時期にハマるらしい太宰治もどうも苦手
わざとらしい自虐的な感じがどうもついて行けない

とか何とか言ってもせっかく購入したものだから
読み終えないともったいない
しかし、頭は図書館で借りた宮部みゆきの本の方に
関心は移っているが、、、
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生き延びるための一つのオプション

2014年08月27日 08時32分41秒 | あれこれ考えること
意識が存在するかどうか人間に知ることの出来ない他の生物
人間の感覚からすればそれらの生物は「生きる」ことに関して
純粋だと言える

その生きる(伸びる)方法はほんとうに様々
最貧読んだ本「弱者の戦略」稲垣栄洋著 新潮選書には
これでもか!というくらいたくさんの例が紹介されている
一つ一つが非常に興味深いが自分が気になったのは本も
おしまい近くの「プレゼントも横取り」の章


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ガガンボモドキと言う虫のオスは、メスにプレゼントをして
求愛する。この時プレゼントが小さいとメスは求愛を受け入れない。
そして、大きなプレゼントを持ってきたオスとだけ交尾をする。
オスにとっては大変である。
しかも求愛を成功すれば良いかというとそうではない。
求愛を受け入れたメスは、卵を2~3個生むだけである。
そして、また新たにプレゼントを持って現れるオスを待つのである。
そのため繁殖時期のメスは狩りをしなくてもエサを手に入れることができる。
オスは大変だ。メスのご機嫌を伺いながら、プレゼントを用意しなければならない。
これは労力も多いし、リスクも大きい。そこでメスに化けるオスは現れるのだ。
ガガンボモドキのオスはメスを誘うために、プレゼントを持って葉などにぶら下がる。
すると、メスに化けたオスがやって来て、メスのふりをしながらエサの大きさを確かめる。
そして、もらったプレゼントを持ち逃げしてしまうのである。
こうして手に入れたプレゼントで、メスを誘うのだ。なんとも手の込んだ方法である。

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神の作り上げた世界が完全であるのなら、何故「悪」が存在するのか?
と考えたのはライプニッツだったが(?)一見人間の世界では
「悪」の様に思えてしまうこうしたメスに化ける行為も
生き延びることへの純粋な行為としては一概に否定できるものではない
生命は生き延びるために様々なオプションを予め用意している
そのオプションの中にこうしたずるい方法で生き延びる手段も存在するのかもしれない

以上のことを認めるとしたら、人間の世の中に時々存在する
横着して人のものを盗む、横取りする行為というものは
これらの生き延びるためのオプションの遺伝子を持っているためではないか
とさえ思ってしまう

人間は理性とか教育で世界を変えうると思っているが
実は理性と感情と喧嘩をすれば勝つのは大概感情の方
そして感情すらもコントロールするような脳の中の僅かな電流の働きを
支配するかもしれない遺伝子の役割
つまり、生物としての人間は想像以上に理性以外のモノに支配されているということ

しかし、ずるい盗み、詐欺が
遺伝子や生き延びるためのオプションのひとつとして仕方がない
と判断されてしまっては人間社会は混乱してしまう
本当はそうかもしれないが、なんとかして理性上位の世界をつくらねばならない
そこで教育、道徳が存在するのだが、その世界を息苦しく感じてしまう
何%のグループが存在してしまうのはどうしてもでてしまうことだろう

確かに言えそうなことが、「悪いこと」をなす人間の方が生命力に富んだ
感じがしてしまう(政治屋、強欲な経済人、詐欺師など)
仮に生き延びることが生命にとって何よりも優先課題だとしたら
はたして「悪」とは何かと決めることはなかなか難しい

それでもやっぱり人間にできることは、
人間は他の生物と比較すると巨大な脳を持っていることを活かすこと
その脳を機能させて(理性の分野で)ムダのない、ロスのない、戦いのない
生き延び方を選択すること

しかし、やはりある程度の悪さをする存在が出てしまうのは仕方がないか
人間は自分はそんなことはしない、そんな存在ではないと思っても
いつ何時、別の人格になってしまうかは分からないし


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