パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

朝の散歩

2014年08月13日 05時50分55秒 | 徒然なるままに
立秋を過ぎて少しずつ日の出が遅くなっている
夏の間母につき合っての散歩の時刻が
それに合わせて遅くなっていく

昨日までの蒸し暑い気候からうって変わって
今朝はひんやりと涼しく
窓を開けて寝ていたが夜中に締めに起きた

歩き始めた頃は
まだ日の出には少し早かったが東の空は
うっすらと赤くなりかけている
雲も気のせいか高いところにあるようだ
明らかに低いところに立ちこめた重い黒い昨日までの雲とは違う
確かに秋の雰囲気

母の少し前を歩く足下には時折蝉の姿が見える
湿り気が抜けてカラカラになった体
かつて命があった事が遠い昔の事の様に思える
今はただ物質としての存在だけとしか認識できない

すれ違う車も少なくいろんな音が耳に入る
草むらには早くもコオロギやキリギリスの声、カエルの声も聞こえる
時折思い出した様にヒグラシの声が聞こえる事がある
だが朝の主役は鳥たち、忙しくチュンチュンと雀
悠然と空から眺めているのは、、何だろう
からすとは違う 
羽根にいっぱいに風を受けて浮力を充分に保ちながら
空を疾走する
その空の上には月が見える
ウサギの形を認識するのはなかなか難しい
子供の頃の自由な想像力は羽ばたかない
時折、雲がかかる

遠くの山には朝霧がかかっている
稜線を残して中腹の部分は煙のような霧が立ちこめている
「あれが上から見れば雲海に見えるんだよ。雲海、雲の海とは
 上手くいったものだね」
少し遅れ気味に歩く母に話しかける

歩道を邪魔する様に生える雑草は
朝露か昨日までの雨のためか水分を含んで
軽く触れたスボンを濡らす

空気が気持ちいい

高い空、ようよう明け行く空
空には月と鳥、地面には虫たち、木々には蝉
至る所に生命を感じる事ができる
それは当たり前なのだがひどく不思議な事の様に思えたりする

朝の散歩
それは健康のためだけの行為ではない

あと何日、何回、自分を生んでくれた人と
いっしょの時間を過ごす事ができるのか
その貴重な時間なのだ

当たり前の日常
その繰り返し
人には何の使命があって存在し
何を成したかは悠久の時間の中では
どうでも良い事の様にさえ思えてくる

ほぼ30分 3キロの行程
途中、蓮の葉を頂いて帰った
(ご自由に一枚おとりくださいとあった)

地域の皆さんありがとうございます
一枚いただきいました


コメント
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